蕉 門

伊藤風国

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京都の医師。通称は玄恕。去来の甥という。

洛去來甥也、泊船集芭蕉クセンアラハス。

『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿)

 元禄8年(1695年)4月、支考は京都桃花坊の去来亭を訪れ、風国と共に歌仙。

   哥 仙
 去来
猫の子の巾着なぶる凉みかな

   塀のかはりにたつる若竹
   支考

折角とちか道来ればふみ込て
   風国


 元禄9年(1696年)、十丈は風国を訪ねる。『射水川』

 元禄9年(1696年)9月、『初蝉』刊。

 元禄9年(1696年)10月12日、芭蕉の三回忌に風国は義仲寺を訪れている。

義仲寺


石青く草は黄はみてかるゝかや


 元禄10年(1697年)9月、『菊の香』刊。『初蝉』の誤りを訂正。

 元禄11年(1698年)11月、『泊船集』刊。

 許六は「此泊船手にとる物にあらず、学者偽書とすべし。」と『泊船集』を非難している。

元禄14年(1701年)7月3日、没。

   悼風國

朝夕にかたらふものを袖の露

   悼風國

いなつまに筆を投たるたより哉


風国の句

籠かきの仏見事や玉まつり

穐もはやくるゝとしらず飛いなご


松原に風を残して塩干哉


大根の髭むしる夜のみそれかな


一日もぬからし花よ咲そめて


砂川に紅葉を流す高雄かな



朔日に蝉のせゝくる樗かな


駒鳥の声を見かへす格子哉

箒程たばねて着たり草の花


聖靈も落つかれけん朝からす


   鞍馬山に登りて

かたな目の消ぬ巌や花の中


名月や鞭をあくれは阿太子山


ひそやかにものいふてゐる花見かな


うぐひすのみだれや野竹茶の木原


   四方郎とあつまのかたの遊吟あらかしめちきりて

山寺も雪間に出るや若菜摘


月花や共に四方のこゝろさし


逗留にくもり晴あれ須磨おもて


三井寺や海より月のぬれあかる


海山の心くばりやけさの秋


ものをいふ友も白髪の若葉かな


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