俳 人

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夜雪庵普成

安永2年(1773年)4月12日、墨田区の要津寺に芭蕉の句碑を建立。



ふる池や蛙飛こむ水の音

『諸国翁墳記』に「古池塚 江戸深川アリ 雪中庵門人普成建」とある。

碑陰に夜雪庵普成の句が刻まれている。

白妙の雪より出たり後夜の月

寛政12年(1800年)10月28日、大江丸は夜雪庵普成に招かれる。

 十月廿八日は夜雪庵にまねかれ人々にほんそふ(う)せらる。

たからだ氏の亭は東は永代ばしつく田しま、南は筑(築)地・品川八ツ山にして、不二もみぢ山もえわたりて、風景いふばかりなし。


亨和2年(1802年)2月25日、亀戸天神社に芭蕉の句碑を建立。

聖廟九百年御忌句碑


芭蕉句碑の背面に夜雪庵普成の句が刻まれている。

しら雪やをのつからなるひと夜松

普成の句

うつろ木に一日したむ雪解かな


槇原に追たてらるゝ鹿の子哉


   木曾にて

水音にふけて寐覚の夜寒かな


あかつきの槇のしつくや郭公


ぬれてゆく蓑にさはぐや雨の蠅


閑さは海から雪の朝日かな


白露や月は檜原のうへながら


岩藤にむすひて女男の御山哉


冴くらへ冴くらへ氷の月夜かな


 江戸浅草蔵前の札差。通称は近江屋伝兵衛。別号自在庵、竹陰。稲津祇空に師事。

 寛保元年(1741年)8月13日、八王子の古学庵を訪れる。

 寛保4年(1744年)、『句餞別』(芭蕉翁撰)を翻刻刊行。

 延享3年(1746年)3月、自在庵祇徳門人風月庵社中は「芭蕉翁梅冢」を建立。



 宝暦元年(1751年)、剃髪。

 宝暦2年(1752年)、歳旦帖『菅廟八百五十年』。

 宝暦年間(1751〜1763)、長命寺の地に芭蕉像を安置し、芭蕉堂とした。

宝寿山長命寺


 宝暦4年(1754年)10月、祇徳門人瓢笠坊祇庸は長命寺に雪見塚を建立。

同年11月24日、祇徳は53歳で没。

門人に下総国葛飾郡関宿の徳雨、相州愛甲郡猿ヶ島村の丈水がいる。

 宝暦10年(1760年)11月3日、徳雨は栃木県野木町の野木神社に芭蕉の句碑を建立。

 天明8年(1788年)、丈水は神奈川県厚木市の本立寺に芭蕉の句碑を建立。

祇徳の句

寒垢離はかんこりたけの寒哉


稲妻の姿に啼やほとゝきす


人群集哀桜の日数かな


いろいろの草の秀て土筆哉


二世祇徳は初代祇徳の子。別号祇貞。

安永8年(1779年)9月1日、52歳で没。

二世祇徳の句

住吉に宮雀聞け浦鵆


 安政5年(1858年)、三世自在庵祇徳は芭蕉堂を再興し、芭蕉雪見の句碑を建立。



いさゝらは雪見にころふ所まて

三世祇徳の句

冬瓜や花の仇なきあたま数


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