俳 人

老鼠堂永機

 穂積氏。通称は善之。老鼠庵。父六世其角堂鼠肝に俳諧を学び、其角堂七世を嗣承。

 文政6年(1823年)10月10日、江戸下谷に生まれる。

 安政3年(1856年)8月、烏山八景碑再建。其角堂七世永機書。



 明治20年(1887年)、門人田辺機一に其角堂を譲り、全国を吟遊。

 明治23年(1890年)2月、妙経寺に其角の句碑を建立。晋永機書。



起てきけ此郭公市兵衛記

 明治26年(1893年)、芭蕉翁二百年忌の記念事業として「福地城跡」に芭蕉の句碑を建立。永機揮毫。



古さとや臍の緒に泣くとしの暮

 明治29年(1896年)、田原市の潮音寺を訪れ、揮毫。

 明治31年(1898年)、滝沢遊鳥は芭蕉の句碑を建立。永機書。



古池や蛙飛こむ水の音

 明治36年(1903年)4月、下諏訪の水月公園に芭蕉の句碑を建立。八十一翁永機書。



しばらくは花の上なる月夜かな

明治37年(1904年)1月10日、82歳で没。

芝二本榎の上行寺に葬る。

明治37年(1904年)秋、名古屋市の傳昌寺に芭蕉の句碑を建立。



ぬれてゆく人もをかしや雨の萩

永機の揮毫という。

大正11年(1922年)、万菊社連中は潮音寺に三吟句碑を建立。



松島の瑞巌寺に永機の句碑がある。


ひとつづつ終に暮けり千松島

永機の句

ほとゝきす雨にハとゝく紙燭哉


川冷の退くおもひや月の照


花ちるや夜るハむかしの隅田川


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