俳 人

伊東鳥秋

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相州用田の人。伊東孫右衛門。佐久間柳居の門人。穂雲楼。

 宝暦13年(1763年)6月、松原庵成る。

   松原庵はしめの春興に
      柳の糸のたへぬ事を賀す

目印の柳や庵の繩すたれ


 明和元年(1764年)、烏明は松露庵の留守を鳥酔に頼み、風谷・鳥秋と共に熱海温泉へ旅立った。烏明は鳥秋宅に泊まっている。

此夏や熱海へ浴せん事をしきりに思ひ立、折から相陽用田なる鳥秋雅子も道を同しうセんと告来るに、そゝろ心となり、幸老師の帰合せ給ふを松露庵の留主の戸を頼ミ参らせて風谷子と比肩し立出るに

蝉鰹あたミは風の磯ツゝき と老師祖坐の吟をはしめ、大至・長南両子、其集の社中銭別の章を行嚢に納め

柱にも笠懸かえて蝉時雨 と留別しツゝ、先川崎駅東なる車童子を訪ひ、程ヶ谷置郵鳥槎子を尋、戸塚駅北鶏父子に一夜晤言し、用田邑穂雲楼に登る、主人ハ

柳先生の門に入て、我老師に道を教られ、常に月雪を友とす、けふやその花鳥窓に遊ひて

来て見れハ風の自在や夏座敷
   烏明

   もてなし足らぬ月も短夜
   鳥秋

      留別 入湯の留主を人々に頼置て

咲登る日数なるへし立葵
   鳥秋

飛ふ連にすハらぬ尻や麦鶉
   烏明

俳諧松魚行』

 明和4年(1767年)、大磯鴫立庵再興。

鴫立庵


 明和5年(1768年)2月、『そのきさらぎ』(鳥酔編)刊。

  穂雲楼
鳥秋
尼寺に費るへにや落椿

   恋する声の憚からぬ猫
 春塘

『そのきさらぎ』

 明和5年(1768年)3月28日、鴫立庵再興記念集『湘海四時』。穂雲楼青牛窓鳥秋序。

 安永4年(1775年)、白井鳥酔七回忌に松露庵連中は鳥酔追善句碑を建立。



湘中鴫立沢三咲橋前 碑樹立

 表
 夕凪や礒山遠くきしか啼
   烏明

季冬
しむしむと黒きを見れハ寒念佛
鳥酔居士

 八鼓の吟
 名月や人しつまつて秋の月
   百明

   湘中
  擬侍師以小子等里吟題焉

左 用田
 朧月きさらき近うなりにけり
   鳥秋

   おかた
 若竹や露を葉ことに朝日和
   洞秋


 享和2年(1802年)4月6日、仙鳥没。

   晨鐘とともに往生したまひけれは

暁の鐘身にしむやほとゝきす


鳥秋の句

鹿の子に夜あらしいかに麓町

昼皃や日に焙(イリ)付る砂の上

俳諧松魚行』
富士ひとつ雪にふとりてかれ野哉

常知れぬ夫婦の出来て猫の恋


牽舟に闇をはなるゝ柳かな


早乙女やあまった唄で畔を行


はる雨や歩み行野に土竜


咲にけり居なから知し梅の花


わか竹や木挽が小家の薄ぐもり


椿さく奥やたえだえ鉦の声


春雨や寐さめし夜半の軒の音


   雨降山にのぼりて

滝つ瀬や春雨のふらぬ日はあれど

磯辺より見そめていく日遅ざくら


裏門のうらの芝ふむ涼かな

俳諧松露庵随筆』

 『春秋稿』(第二篇)に「そりこぼす白髪のたけやはるの風   相州用田 秋鳥」とある。

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