俳 人

白井鳥酔
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はいかゐ玩世松陰』 ・ はいかゐ雲と鳥』

白井鳥酔ゆかりの地

 本名は白井喜右衛門信興。初号牧羊。別号西奴・百明坊・三斛庵・松露庵・落霞窓・松原庵・鴨立庵。佐久間柳居門。

建部巣兆の父山本龍斎は鳥酔門下の俳人。俳号雪声庵百卉。

 元禄14年(1701年)、上総国埴生郡地引村(現長生郡長南町)に生まれる。

 享保6年(1721年)、家督を相続して代官に就任。

 享保17年(1732年)、家督を弟に譲り、江戸に出る。

 元文2年(1737年)5月、柳居は鳥酔を伴い箱根の塔ノ沢に入湯。

  同年、鳥酔は秋瓜と沼津の矢部石矢宅に泊まり、芭蕉の真蹟「都出てゝ神も旅寝の日数哉」を見ている。

  同年、『夏山伏』(百明台西奴、綾川観鷺貫撰)刊。

 元文4年(1739年)、鳥酔は武藏国塚越(現蕨市)の俳人梅富を訪れ、白兎園宗瑞と同宿した。俳諧稲筏』(鳥酔編)

 元文5年(1740年)、柳居から三斛庵の庵号を譲り受け、号を鳥酔と改める。

元文五申歳旦三斛庵初めて構営せし年也

   いにしへのなら茶を今や花の春


   鳥酔名開

恥かしさおもへさくらの笑ふ時


 寛保元年(1741年)、白兎園宗瑞は東照宮に参拝の後、筑波山に登る。鳥酔は白兎園で帰りを待つ。

神祖の御祭礼を拝して目を驚かしそれより筑波男体女体の峰にのほつて見ぬ双剣をおもひやり肝つふしたるなとかれ是の事を白兎園に待まうけし聞侍りて

山々の噺は高しほとゝきす
  鳥酔

今ほと蚊やりそこの庭石
   宗瑞


 寛保2年(1742年)秋、柳居は「戌の満水」で三斛庵を失い、鳥酔の郷里上総地引村に仮寓して両総を行脚。

   地引村白井氏の許にて

松茸の匂ふ山あり鼻の先


 延享元年(1744年)、秋瓜名開き。秋瓜は三斛庵に入り、鳥酔は落霞窓に移る。

 延享2年(1745年)秋、鳥酔は門人雨竹・芹江に伴われて箱根塔ノ沢一の湯に湯治した。

 早雲寺を手にとるやうに見なして爰の米まんちうを力とし右の草径へ入る。


 延享3年(1746年)5月、鳥酔は信州を訪れ、戸倉の無量寿仏庵という寺に滞在した。戸倉では十竹窓柴雨が入門。

○信州戸倉の驛 無量壽佛庵

あるしの僧草花を樂しむ庭前にさかり也心のつまにかけぬ日はなしと元祖上人の詠哥におもひよせて

   菊百合を兩尊にしてたち葵


 延享3年(1746年)、柳居は東海道を上方へ旅立つ。鳥酔は木曽路を辿って追いかける。

いせ奉納
同年夏
木下闇もなき代にあひぬ神路山


  同年7月、白井鳥酔は松阪を訪れ、呉扇の世話で一葉庵に入る。

 爰に菴あり。一葉庵と呼ぶ、これ也。烏翁延享のはじめ長途の遊袋をときてあるじしたまふ。其折にふれし名なりとぞ。


  同年8月25日、白井鳥酔は義仲寺に詣でた。

粟津義仲寺碑前
□□廿五日
雀さへ粟津慕ふや墓の秋


   京にて鳥酔に別る

片破になるや都の月のさひ


 延享4年(1747年)4月、鳥酔は再び来信。

 延享5年(1748年)5月30日、佐久間柳居没。

 寛延3年(1750年)秋、松露庵鳥酔社中の月並集『張笠』刊。

 宝暦2年(1752年)秋、鳥酔は春暁庵星飯を伴い奥羽遊吟。遊行柳を訪れた。



 宝暦4年(1754年)3月、鳥酔は筑波山詣の途上下総国相馬郡守谷(現:茨城県守谷市守谷)に将門の遺跡を訪ねている。「相馬覧古」

 宝暦5年(1755年)、『天慶古城記』(鳥酔編)

 宝暦6年(1756年)、左明に松露庵を譲る。

 宝暦6年(1756年)2月29日、鳥酔は松露庵を出て甲州街道を行く。榎本星布の糸明窓に宿り、窪田古由の茶睡庵に留まる。3月23日、烏明と同地の禅僧星飯を伴い大坂に向かう。『風字吟行』

 宝暦6年(1756年)4月、鳥酔は亀世を訪ねている。

鳴海驛   千代倉 和亀久亭に泊

   阿父龜世叟の隱れ家を尋侍る。祖翁在世の人なれは聞く事
   みなめつらしく、しはしは風話をなす。かつ翁の遺物あり句な
   くては拜ませすとあれは、一つ脱てとありしに思ひ寄たて

衣かえ後に負し笈床し


 宝暦6年(1756年)、鳥酔は大阪天王寺の浄春寺を訪れ、松の木の下に埋もれていた「芭蕉翁」の古碑を見る。

  同年、鳥酔は花兄庵を結ぶ。

 宝暦7年(1757年)3月、芳野に登る。

 「芭蕉翁」の碑を再建。芭蕉真筆の句冊を埋め「芭蕉反故塚」を建立。『芭蕉翁墓碑』

「芭蕉翁」と「芭蕉反故塚」の碑


 宝暦7年(1757年)、『冨士井の水』刊。

   文通難波より聞ゆ

初雁や芦火にそむう蜑か顔   鳥酔

五條あたりの旅舎に大島蓼太を訪ねる。

武江の鳥醉も此時浪華に住居せしが、古關の情を起して五條あたりの旅舎を訪來ませし時

南天のたかひに痩て花の友
   鳥醉

  蚊帳の都もなれぬ柴の戸
   蓼太

俳諧今はむかし』(蓼太編)

 宝暦8年(1758年)2月末、鳥酔は大坂を発って伊賀上野へ赴く。俳諧冬扇一路』

  同年6月12日、鳥酔は浄春寺の金龍庵に移る。

  碑前留別

   草庵は馬明にまかせ、我は江都へ歸る餘波をおしみ奉る
   時、かたはらに環中長老在ツて曰、正恁麼時如何

碑はたつて知らすちる梅初櫻

 宝暦9年(1759年)3月、烏明を伴い芳野へ。

  同年4月5日、鳥酔は烏明を伴なって千代倉家に泊まる。6日、出立。

四月五日 晴天 鳥酔、烏明本家ニ泊。

四月六日 曇晴天 右両誹師隠居へ見へ咄ス。則出立。

  老の身の耳掻憎しほとゝぎす

『千代倉家日記抄』(亀世)

  同年、江戸へ帰る。

  同年7月、『壬生山家』(鳥酔編)。雨林序

  同年秋、烏明を同伴して両総行脚。

 宝暦10年(1760年)、柳居十三回忌に『五七記』(鳥酔編)。

  同年8月13日、左明は50歳で沒。烏明は松露庵三世を継ぐ。

  同年、露柱庵に滞在中の鳥酔は那古寺に遊ぶ。

 宝暦11年(1761年)、『露柱庵記』(烏明編)刊。

 宝暦13年(1763年)6月、松原庵成る。

 宝暦14年(1764年)、『わか松はら』(鳥酔編)松露庵烏明序。

  同年、鳥酔は兀雨と亀戸天神社に遊ぶ。

○亀井戸社頭 八王子詞友兀雨子風谷と共にあそふ

 藤咲や一夜に出来ぬ花の丈


 宝暦14年(1764年)6月2日、明和に改元。

 明和元年(1764年)、烏明は松露庵の留守を鳥酔に頼み、風谷・鳥秋と共に熱海温泉へ旅立った。

 明和元年(1764年)、鳥酔は布袋庵を訪れた。

○遊布袋庵

あるし柳几子先ッ見せむと次のまより藁苞一ッ抱え出たり尾州の名産也誠に大猫をもかくすへし一句せよとあるにまかせて

 百里来て苞を又抜く大根哉


 明和2年(1765年)、春興帖はいかゐ玩世松陰』

 明和2年(1765年)9月、鳥酔は輕羽法師と雨月と共に常陸へ旅立。『乙酉吟行甲乙記』

 明和3年(1766年)、加舎白雄生方雨什を伴って吹上を訪れ、袋村の医師川鍋千杏の家を訪問。

  同年4月、鹿島神宮に芭蕉の句碑を建立。

鹿島神宮楼門


 明和3年(1766年)4月10日、千杏没。

今や八功徳地の車大蓮の上に、歌舞の菩薩の友出来て不退の納涼しまふならんと、十万億土を相(想)像して

こちらてはあつき涙のすゝみ哉


  同年秋、加舎白雄を伴い故郷地引村(現長生郡長南町)に墓参。その後、大網・東金・九十九里・横芝から銚子へと行脚。

横芝では坂田小堤村(現:横芝光町)の神保家を訪ねている。

   過同社夜松亭

この亭也往し仲冬火の災にかかり矢も通
らぬ四隣の樹々いろをかへたり、まこと
に行水の流れはたえずしてしかももとの
水にあらぬ世の変化たり、驚くへからす
と、ちからをつけて

  落栗也三とせの
    うちにもとの庭

   丙戌仲秋         鳥酔

『鳥酔居士句巣』

 明和4年(1766年)2月、俳諧玩世松陰』(五編)自序。

  同年3月、鳥酔は鴫立庵を再興。『湘海四時』

鴫立庵


 明和4年(1767年)、西行と佐久間柳居の追福集『そのきさらぎ』(鳥酔編)刊。

 明和5年(1768年)7月、鳥酔は百明・烏光と銚子を訪れる。

明和6年(1769年)4月4日、69歳で没。

濃きうすき雲に待得てほととぎす

東京都品川区の鮫洲にある海晏寺に墓がある。

海晏禅寺


 明和6年(1769年)8月15日、銚子の宝満寺に鳥酔の句碑を建立。記念集『月のふた夜』(市石庵等編)自序。句碑は現存しない。

      二夜吟   鳥酔居士
  かぞふれバ千艘白し月今宵
  かぞふれバ帆柱へらず後の月
  明和六己丑歳次仲秋望日
東都松露庵銚江社中合資樹立

 安永4年(1774年)春、鳥酔の七回忌に生方雨什ら四卉庵連は萬日堂に涅槃句塚建立。俳諧涅槃像』

 安永8年(1779年)8月、春秋庵白雄は群馬県の雙林寺に鳥酔翁塚建立。

 享和元年(1801年)4月4日、鳥酔の三十三回忌に『露柱先師懐玉抄』(烏明編)刊行。

埼玉県熊谷市の聖天山歓喜院にある句碑に鳥酔の句が刻まれている。



雉子の聲おのかすむ野に餘りけり

慶応4年(1868年)春、有磯庵三世五渡建立。

鳥酔の句

尼寺やむかしの伊達を蔦紅葉


水汲ミの世界別なり桃の華


脇息は肱にたはむ歟けふの雪


水茶屋の家根もあらはなしぐれ哉

『千ひろの陰』

野の蝶やつもらぬ物の降くらし


紅梅や雪の跡から味なもの


咲てから月日は遅し菊畑


冬の来た夜の姿やむらしくれ


をもしろい夢見る皃や涅槃像


蕣や悟れ悟れと咲かはり


名月や百わらひ合物かたり


一ツ家の灯は中にしてしくれ哉


物かけてつい寐た顔や朧月


八朔や空にあらはすいはし雲


汐くみの番ひはなるゝ霞哉


雉子啼や己か住野にあまりあり


蜻蛉やをのか姿も島の数


   鮫洲松原庵にて

むかひ火や上総へむけは月の出


樵夫のミ濡て出しよ露しくれ


棧や蠅も居直る笠のうへ

姨すてや伯父は田毎の苗配り


蛍見や艸に丈たつ処まて


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