俳 人

三浦樗良
indexにもどる

志摩に生まれる。伊勢に無為庵(がいあん)を結ぶ。晩年は京都に住む。

 明和元年(1764年)、既白は伊勢に遊ぶ。

   無外主人をとゞめて
イセ山田
我宿は秋風あらく露寒し
   樗良


 明和元年(1764年)、『しぐれ会』に参列。

   百韻一巡

  伊勢
塚のしくれ紙にしめして泣日かな
   樗良

枯野に残る蝶もまほろし
   文素


 明和5年(1768年)、東下。

 明和6年(1769年)、片瀬に春を迎える。

相模国片瀬の里に春をむかへ、江
の嶋山に神路山を思ひ寄て、

ふるさとの伊勢なを恋し初日かげ


 安永2年(1773年)、蕪村を知る。

 安永3年(1774年)3月23日、蕪村・樗良・几董の歌仙。

   三月廿三日即興

菜の花や月は東に日は西に
   蕪村

 山もと遠く鷺霞み行
   樗良

渉し舟酒價(テ)貧しく春暮て
   几董

『宿の日記』(初稿)

 安永5年(1776年)、京都へ移る。

 安永7年(1778年)3月末、三越路行脚。

安永七三越路行

ことしの春は心おとろへ、筋骨か
らみ、たましゐ(ひ)の静ならざれば、
加賀の国山代の温泉にあそばんと
おもひ、立出る山路さむけれど、
やよひのすゑなれば、桃・さく
ら・山吹など咲みだれたり。

花にこそ命惜けれ春の暮


安永9年(1780年)、山田にて52歳で没。

天明4年(1784年)、『樗良発句集』(甫尺編)。自序。

井波町の黒髪庵に樗良の句碑がある。


山寺や誰もまいらぬ涅槃像

樗良の句

   粟津の松原にて馬上の吟

こがらしや日も照り雪も吹ちらす


   題閑居

梅がかにおどろく梅の散日哉


月ふくむ鴬の声にあけのはる


郭公のはるかに帰る深山かな


梅か香に驚て梅の散日かな



こゝろより立や白根の初かすみ

消もせん有明月の浜ちどり


俳 人に戻る