俳 人

苅部竹里
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『名なし草紙』

越後の俳人。苅部五兵衛。別号諧仙。

『享和句帖』に竹里の記述が見える。

十三日 雨 北風吹

   竹[裡]といへる[裡]僧の久しく布川辺をさまよふ

『享和句帖』(享和3年4月)

 文化3年(1806年)11月2日、竹里が来て泊まる。

   二日 晴 竹里泊

『文化句帖』(文化3年3月)

 文化4年(1807年)3月9日、竹里が本所相生町に来て泊まる。

   九日 晴 竹里泊

   十九日 晴 在庵 竹里かへる

『文化句帖』(文化4年3月)

 文化5年(1808年)6月8日、竹里が来て泊まる。

   八日 晴 夜小雨 竹里泊

『文化六年句日記』

 文化8年(1811年)、一茶は守谷の西林寺で年を越す。

籠山西林寺


1月7日、竹里がやってきた。

   七 晴 竹里来

『七番日記』(文化8年正月)

   七日会

鶯の声をかぎりの枕かな
   竹里

鶯の親子仕へる梅(の)花
   一茶

   員外

黄鳥(うぐいす)の声をかぎりの枕哉
   竹里

菊苗伏せて十日目の露
   一茶


 同年11月10日、竹里は越後から帰ってくる。

   十 晴 竹里越後ヨリ皈

『七番日記』(文化8年11月)

 同年12月22日、一茶は布川に入り、文化9年の正月を布川で迎える。

1月18日、竹里がやってきた。

   十八日 晴 仝吹 竹里来

『七番日記』(文化9年正月)

 文化9年(1812年)5月12日、一茶は本行寺に入る。竹里がやってくる。

本行寺


   十二 陰 甲(申)下刻雷雨 本行寺ニ入 竹里来

『七番日記』(文化9年5月)

 同年11月3日夜、一茶は本行寺に入る。5日、竹里に会う。「又虚言ス」とある。

   三 晴 夜本行寺ニ入 雷雨

   五 晴 竹里ニ相見 又虚言ス

『七番日記』(文化9年11月)

一茶は竹里に面白くない感情をいだいていたようだ。

文化9年(1812年)、『名なし草紙』刊。

 文化13年(1816年)10月14日、一茶は守谷の西林寺から布川に入る。

竹里がやってきた。

   [十]四 寅八刻 地震 布川ニ入 竹里来

『七番日記』(文化13年10月)

 文化14年(1817年)2月、一瓢は伊豆玉沢の妙法華寺に移る。

妙法華寺


竹里は一瓢を頼って妙法華寺に行く。

文政9年(1826年)1月16日、妙法華寺覚林院で客死。

竹里の句

鱈舩に雪を積来るゆふべ哉


雨勝の夜を含けり芥子の花


稲の香を引まはしたる出汐哉


木がらしに大根のからみうつしけり


嵐にも霧にも衣ひとツかな


月に蚊の見え初にけり泊舟


どのやうな木が嬉しいか閑古鳥


さみたれや蚤と蠅とになる庵


木母寺に三日月さすや春の水


鶯に筆とつて見ん手六十


どのやうな樹がうれしいぞかんこ鳥


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