俳 人

坂上竹烟
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坂上治右衛門。一夏庵。田川鳳朗門下の俳人。

竹烟 一号□□ 上毛草津 一夏庵

 ひとつ来て鳴炎天のからすかな 竹烟


 寛政7年(1796年)、竹烟は草津に生まれ、温泉宿を営む。

 天保11年(1840年)、諸国を遊歴した後、草津に帰る。

 天保11年(1840年)5月27日から6月5日まで田川鳳郎は草津の竹烟亭に滞在している。

 廿七日。草津竹烟がもとへうつる。風雨頻にして六月に入。五日といふに疾く立て渋峠にかゝる途中、

   浅間から湧はじめけり雲のミね

   切たのを置日蔭なしゆりの花


 天保11年(1840年)、8月2日、一夏庵の新庵開き祝筵を催す。

   竹烟の新庵をよろこぶ

夏を旨と屋根もかるがる榾木笠
   鳳朗

 草の浮くには足らぬしたゝり
   竹烟

紙に漉く糊温石を撰分け
   逸淵

 天保13年(1842年)10月12日、芭蕉の百五十回忌に芭蕉の句碑を建立。田川鳳郎書。



夏の夜や谺に明くる下駄の音

 嘉永6年(1853年)7月、大笹神社に芭蕉の句碑を建立。一夏庵竹烟書。



雲雀啼なかの拍子やきじの声

文久2年(1862年)、68歳で没。

行く雲のはじめて涼し西あかり

竹烟の句

寒食の日に小鳥らとあそびけり


行春やこゝろを洗ふ椎の露


はる雨や人につき来る野の匂ひ


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