俳 人
北川文素 ・ 可風

文素は粟津の富農。蕉門正秀の門人で弟可風とともに俳諧を雲裡に学んだ。浮巣庵。
寛延3年(1750年)、義仲寺に「芭蕉」の句碑を建立。

三日月の影を延すな蕎麦の花
現在、この句は文献で芭蕉の句と確認できない。
宝暦12年(1762年)5月17日、有井浮風は61歳で没。
| 湖南
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枝に葉にたへぬ涙や栗の花
| 文素
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けふは又淋しく悲しかんこ鳥
| 可風
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裾はかり朝日のあたる柳哉
| 江州
| 文素
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枝々に岩越す浪や梅の花
| | 可風
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宝暦13年(1763年)、時雨会。記念集『蕉翁七十回忌粟津吟』(浮巣庵文素)
明和2年(1765年)、蓑笠庵梨一は可風亭を訪ねている。
大津松本の可風亭を尋て一二夜談笑す
木に草にたらぬものなし夏構
明和2年(1765年)、雲裡坊追福集『鳥帽子塚』。浮巣庵文素の序。
明和4年(1767年)秋、可風歿。
可風の句
名月や薄も風に遊ぬ夜
けふはまた雲て見せるや初時雨
吉野にて
三芳野や杉を晴間に花の中
花に来て花による間もつはめ哉
遠里の背戸ばかり見るかれ野哉
幾つ居ても鳴ぬ蛙や秋のくれ
夕暮のいつ夜となりて朧月
ことことと水もいぬるや秋のくれ
陽炎や燕の羽をかへすとき
いくつ居ても鳴ぬ蛙や秋のくれ
明和5年(1768年)8月、文素歿。
大津の「龍ヶ丘俳人墓地」に墓碑がある。
「可風・文素」

文素十七回忌に六字名號を句の上に置て發句せし
中に
在し世のまゝや机にちる一葉
可風か十七回忌に龍ヶ岡の墓に參て見るに石碑い
と苔むしたり、こはもとおのれか筆とりしものゝ
かくまて成けるよと哀にて
わか書し文字さへふりぬ萱薄
文素の句
せはしいは老木のくせや梅の花
朧夜を江にひらけたる柳哉
遠浦に帆の見える夜の千鳥哉
三芳野や杉を晴間に花の中
明ほのゝ中へ杖引桜かな
聞々てもどれば宿のきぬたかな
下闇を角でさぐるや蝸牛
さんふりと水に漬たる柳哉
あたゝめる硯も雪の朝かな
淋しさの底をたゝいて添水哉
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