俳 人
西原文虎
文化9年(1812年)7月22日、文虎宛の書簡に「有明や浅間の霧が膳を這ふ」とある。 |
此やうな末世を桜だらけ哉 | 一茶 |
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今やひがんとほこる鶯 | 文虎 |
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文化11年(1814年)2月16日、一茶は浅野に入る。 |
十六 晴 アサノニ入
『七番日記』(文化11年2月) |
文政6年(1823年)6月13日、一茶は梅松寺の住職知洞と湯田中に入る。17日、文虎がやってきた。 |
[十]三 晴 知洞ト田中ニ入 巳五刻土用ニ入 |
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[十]七 晴 文虎来 |
『文政句帖』(文政6年6月) |
文政8年(1824年)8月5日、一茶は浅野に入り、文虎亭に滞在。11日、中野に入る。 |
五 晴 アサノ入 |
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[十]一 晴 中ノ入 |
『文政句帖』(文政8年8月) |
墨染の蝶がとぶなり秋の風 | 一茶 |
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七ツ下りの蓬生の月 | 文虎 |
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『ほまち畑』 |
白川や馬の耳にもほとゝぎす かゝる代に生た上に桜かな 三ヶ月のしやんとつゝ立暑さ哉 春風や夜着の袖から鳰の海 雪降やくらきかたより少しづゝ 鳴からす今五月雨の手始と 大風のあとやおほきな草の露 鼠にも茶の子ふるまふ夜寒哉 |