俳 人

横田文玉 ・ 玉芝
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 横田半十郎邦厖(くにあつ)。榎戸村の眼医者。玄庵。常世田長翠の指導を受けている。与野(現さいたま市)の俳人鈴木荘丹とも親交を持っていた。

文玉   武州榎戸 
   横田半十郎 


 文化14年(1817年)、小蓑庵碓嶺は熊谷に草原庵を構える。

 文化14年(1817年)12月4日、玉芝は草原庵を訪れている。

十二月二日、晴天。三日、同。四日、晴天。

   訪ふ客は、

さやさやと雨の降也紅葉ちる
   文玉


 文政3年(1820年)、医を奥医師土生玄碩に学んで玄庵と号した。

 天保4年(1833年)4月4日、碓嶺は信州・奥羽行脚。横田氏を訪ねる。

   中山道榎戸、横田氏探題

戸もさゝで笛ふく里や水鶏鳴
   玉芝

鶯飛やそれにも旅の心しる
   以吉

また旅の嬉しく成ぬさくらの実
   文玉

熊谷のみえて長閑けし芥子の花
   碓嶺


 天保4年(1833年)、三上里恵は玉芝を訪ねている。

天保10年(1839年)8月、文玉は64歳で没。

榎戸堰公園に文玉の句碑がある。


鵜遣いの年に不足はなかりけり

文玉の句

江の千鳥柳によらぬ春もあり


酒のみは酒に年よれ松のつき


蓬莱や世には奢のつきやすき


やまふきをくゝりぬけたり寺の犬


雨三分持てわかはの夜明かな


息子の氏宣も俳人で、俳号は玉芝。

寛政5年(1793年)12月、玉芝生まれる。

玉芝は碓嶺を訪れている。

荒川パノラマ公園に句碑がある。


養ひの月日かぞへて菊見かな

嘉永6年(1853年)4月7日、61歳で没。

玉芝の句

人につれて風に乱るゝ見虫籠かな


遠のいて見れば桜に月落る


はるの日のくるゝ眼当や波の鴨


神の留主いらぬ雨の降にけり


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