俳 人
宮沢武曰
本名は宮沢民弥。宮本虎杖に入門。のち常世田長翠に師事。 |
武曰 善光寺下後町 冬日庵 |
明和6年(1769年)、更級郡二ツ柳(長野市篠ノ井)に生まれる。 文化7年(1810年)春、武曰は酒田の長翠を訪れ冬日庵の号を譲り受ける。5月、開庵。 |
文化9年(1812年)、最上の槇楓二と松島行。 文化14年(1817年)8月27日、中村碓嶺は冬日庵を訪れている。 文政2年(1819年)、『俳諧夜の柱』(武曰編)刊。 文政7年(1824年)、常恩寺に芭蕉の句碑を建立。武曰書。 |
文政7年(1824年)、川村碩布は善光寺に参詣、紀行文「善光寺詣」は武曰亭で終わっている。 |
文政甲申の水無月矢立の墨尽て武曰か庵に筆を収む
六気老人碩布記 |
天保15年(1844年)7月、冬日庵三世月国は長野市北長池の常恩寺に俳額を奉納。 |
渋柿に烏のさハぐしぐれかな ふた木ともあらぬ御廟の桜かな むし啼や心にさふきひとへ帯 いそかしや椎にかたふく夏の月 竹の露星のなミたと疑ひし 山ざくら日のくれてから見つけたり
長谷観音堂俳額
若草にかへらぬ年を口おしき 梅の月鬼追ふ(う)てよりいくつ寝し はなの香にまけて静まる夜汐かな 翌(あす)は我と起くらべせよ門の蝶 僧に向てはツ蕣の咲けりな 時雨るゝやかけし箒の夜のかげ 隙過てみさためかたし秋の山 長閑さや萩見し丘を田に出かす 花ほどのおそろしき影なかり鳧 人の親の珠数(数珠)も小銭も時雨けり 見し人の念のこりてや花たもつ あすは我と起くらべせよ門の蝶 休まする馬の面まで菊のてり 月の名残なけよいはとしいけるもの 五月雨のはてやことしも人しらず 心やりてぬれぬ日もなき田植哉 羽箒の夜のかげ見よ春ちかみ 風の薄ものの奥意もかくあらん 白げしの白きにまけて人恋し 人につれてとしどしふへる柳かな 出た先に日は暮にけり梅もとき うぐひすに蔦とらまへて覗きけり 永き日になれて中々暮をしき |