蕉 門
野沢凡兆
寛永17年(1640年)、加賀国金沢に生まれる。京都で医者を志す。初号は加生。凡兆の妻も羽紅と号する俳人。 |
凡兆者加州之産也。業レ醫居二于洛一。學二蕉門之風雅一。一罪レ事不レ知二其終處一。
『風俗文選』(許六編) |
元禄元年(1688年)10月20日、其角は加生と共に去来を訪ね、嵯峨を吟遊した。 |
十月廿日 |
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嵯峨遊吟 |
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さが山やみやこは酒の夷講 | 其角 |
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ひろさわ |
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池のつら雲の氷るやあたご山 | 去来 |
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のゝみや |
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木がらしに入相の鐘をすゞしめよ | 加生 |
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のゝみや |
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元禄3年(1690年)6月、凡兆は芭蕉と去来を迎えて三吟歌仙。 |
市中は物のにほひや夏の月 | 凡兆 |
あつしあつしと門々の声 | 芭蕉 |
二番草取りも果さず穂に出て | 去来 |
元禄3年(1690年)12月、芭蕉は凡兆・去来・乙州・史邦ら門人を伴ない上御霊神社に参詣して「年忘歌仙」を奉納した。 元禄4年(1691年)4月23日、凡兆は落柿舎に芭蕉を訪ねる。5月5日、芭蕉は落柿舎を出て凡兆宅に入る。 元禄4年(1691年)7月3日、『猿蓑』(去来・凡兆共編)刊。 元禄6年(1693年)頃、罪を得て下獄。出獄後、大阪に下る。 |
凡兆阿圭子を悼 行春や知らば斷べき琴の糸 |
月晴てさし鯖しぶき今宵哉 ながながと川一筋や雪の原 灰汁桶の雫やみけりきりきりす 植松やそのやとり木の山つゝし 若草に口ばしぬぐふ烏かな 越人にあふて おとこぶり水のむ顔や秋の月 木のまたのあてやかなりし柳かな 田の水の有たけ氷るあしたかな 矢田の野やう(ママ)らのなくれに鳴千鳥 下京や雪積うへの夜の雨 炭竈に手負の猪倒れけり 門前の小家もあそふ冬至かな たち出る秋のゆふべや風ほ(ママ)ろし 立出る秋のいふへや風ほろし 長々と川一すしや雪の原 |
感心 次郎といふをつれてつまの夜咄に行 我子なら共にはやらじ夜の雪 欲のある人にみせはや蝉のから 縫ものやきもせてよごす五月雨 |