俳 書
『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸)
月院社何丸著述
春の部 犬と猿世の中よかれ酉の年 愚考、寛文九年の作なり。申酉戌の酉を取て、犬と猿の中もよかれと興ず。貞徳の遺第七俳五哲の世に盛に行はるゝの時節なれば是等をもて秀逸長点とす。猶此たぐひの句々季節の順をおふて其句下に訳すべし。是時表徳宗房と名のる。 発句なり芭蕉桃青宿の春 句のすがたハいかつに聞ゆれども芭蕉とあれば、深川の菴にての吟なるべし。 天神の賛 大威徳ありあり梅の二柱 梅咲てよろこぶ鳥のけしき哉 貞享三年の吟。句意は明らかなり。 |
むつきのすゑ御所の中をとはるに折ふし春雨のそぼふりて、いと心もゆたかに御殿々の紅梅さかりなりければ |
紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ 猿雖に対す もろもろのこゝろ柳に任すべし 子故郷の門人なれば真実の異見なり。 草の枕に寝飽てまだほの くらきに浜の方に出て 明ぼのや白魚しろき事一寸 笈日記には、五文字雪薄しと出せり。明ぼのは再案なりと云々。 留別 鮎の子のしら魚送る別れ哉 一書に云、奥の細道を思ひ立ちたる留別にして、身を白魚の老に比し、人々を鮎の若きにたとふ。時に年四十六、元禄二年の事也。 甲州郡内といふ瀧にて 勢ひある山辺も春の瀧川魚 姨石に啼かはしたるきゞす哉 天和年中の吟也。 原中やものにもつかず鳴雲雀 一書に云、「雲雀なくあらのにほふる姫百合の何につくともなきこゝろ哉」、古歌の意なむ。 雲雀より上に休らふ峠かな 一書に詞花集、「風こしの峯の上にて見るときは雲もふもとのものにぞありけり」。 遁世の吟 雲と隔つ友かや雁の生別れ 愚考、寛文十二年、二十九才、主人蝉吟子早世に付仕官を辞して甚七と改、東武へ趣く時の留別の吟なり。 荘子の賛 君やてふ我や荘子の夢こゝろ よしのより帰るさに 飯貝や雨とまりて田にし聞 歌よみの先達おほし山さくら 句空への文に うらやまし浮世の北の山さくら 愚考、新古今集、 これやこのうき世の外の春ならむ とぼそのあけぼのゝ雲 此歌の意にかよへり。 しばらくは花の色なる月夜哉 一本に花の上なるとあり。 愚考、花の上は非なり。菅家の集に天酔于花桃李之盛也。月も花の色に酔るがごとしといふ意なるべし。しばらくは五文字、宵の間のありさまなり。夜陰のひゆるにつけては、花の陽気もさめ、月の色のひやひやと皓々敷を委しく作せし事必定なり。 ひがし山に会す 花の陰硯にかはる丸瓦 暮遅き四ツ谷過けり紙草履 門人に対す 栴壇も一鋤づゝの田打かな 花は賤の目にも見へけり鬼薊 はる風やきせるくはへて船頭殿 甲斐猿橋 水くらく日のまふ谷やよぶこ鳥 愚考、呼子鳥のことは古今三鳥の伝にてむつかし。 一説に猿とも馬とも定めかたし。其角か句に猿ならば毛が三筋足らいで呼子鳥といふ句ハ則猿也。 おなじ所にて 此頃人のいふをきけば芭蕉の碑ありて さるはしや蝶も居直るかさの上 祖翁の句のよし爰に不審あり。鳥酔が句に かけはしや蠅も居直る笠のうえ といふハたしかに証拠あり。尤翁の句をしらずしてつくりたるかもしらず。是か非か我はしらず。 きほひありや氷柱化しては滝の魚 此句は、天和中の作にて甲州郡内にての吟なり。廿四丁目も此句あり、是は初案と見へたり。 勢ひなり氷きえては瀧つ魚 前にも二句別々に出たり、いづれが非しらず。 姨石に啼かはしたる雉子哉 愚考、姨捨山に姨石とて二石あり、夫を姨ひとり泣といふ自句のうら成べし。 紀三井寺 見上ぐれば桜しもうて紀三井寺 |
夏之部 子規なくや黒戸の濱庇 愚考、黒戸濱は上総也。良玉集に「まどろまじこよひばかりはいつか見む黒戸の濱の秋の夜の月」、黒戸の濱の濱庇とたゝみかけて句作り玉ひし濱ひさしは真砂の波にかけ落て尚ごとく見ゆるをいふ。 木曽路にて 入梅はれの私雨や雲ちぎれ わたくし雨とハ、雲ちぎれたる空よりぱらぱらとふり過るなるべし。 手ばなせば夕風やどる早苗哉 昼見れば首筋あかきほたる哉 草の葉を落るより飛ぶ螢かな 落梧ぬしのまねきにハ応じて、長途の 愁をなぐさむほどに 山かけや身を養しなはん瓜畠 一本「秋芳軒宜白のまねき」と出セり。美濃は瓜の名物あり、真桑村といふは其あたりか追考。 小僧村といふ所にて 小僧とハ弁慶崖に早松茸 愚考、高館の辺なり、小僧と弁慶と早松茸と、天窓の丸さに対す句也。此句も細道にはもれたり。 ゆくすゑは誰の肌にふれむ紅の花 愚考、源氏末つむ花の巻に、「紅の花ぞあやなくうとまるゝ梅の立枝はなつかしけれど、詞にいでやとあひなくうちうめかれ玉ふ。あないとをかし、かゝる人々の末々いかなるや」、云々。物語の俤也。紅はすべて若ものゝうらにのミ用ふるからに、肌ふれバとハ光せりたり。 松島の句ハ奥細道に出ずといへども、 人口に残れる句あまたあり しましまや千々に砕けて夏の海 松島や水を衣裳の月と水 まつしまや水を衣裳の夏の月 涼しさや行先々の最上川 |
野州川や身は安からぬさらし臼 野州川は、東海道横田川の下流なり。末は湖水に入。此川水をせき入て布をさらしけるもの多し。至て白し。是を近江さらしといふ。 |
月院社何丸著述
秋前編 鳴海眺望 初秋や海も青田の一みどり 此句はじめは「初秋や海やら田やら一みどり」として「海も青田」は再案なり。 柳陰軒句空に舎るとき ちる柳あるじも我も鐘を聞 此く細道にもれたり。 ある草の庵にいざなはれて 秋涼し手毎にむけや瓜茄子 是は細みちに見へたり。 一本に「残暑暫し手毎にりょうりの瓜茄子」に出す 盆過て宵闇くらしむしの声 猿はしに宿りし時 桟や残暑に夜着を着て寝ける 画賛 鶴なくや其声に芭蕉破ぬべし 一書に鶴の声は至てやさしくゆふなものなれども、芭蕉はいたつてやはらかにて是ほどやぶれやすきものもなければ、かのやさしき鶴の声にさへやぶれむとなり。 丸岡天龍寺にて 門に入ば蘇鉄に蘭の匂ひ哉 一本に守栄院にてとあり、いづれかしらず。 玉川の水におほれそをみなへし 浪化公曰、西上人 をみなへし池のさゞ波に枝ひちて ものおもふ袖のぬるゝ顔なる 此歌の心を取て、女をいさめの心也。玉川日本に六ヶ所在、是は井出の玉川にて山吹の名所なれば、夫に替てみなへしにおぼるゝなとなり、高野の奥の玉川には女郎花を詠じ例もあり、一説此句杉風が句なりとあり、浪化公は直弟、如何考べし。 ひよろひよろとなほ露けしや女郎花 一書に、続古今集に なにごとをしのぶが岡のをみなへし おもひしほれて露けかるらむ 松植て竹のほしさよ秋の風 愚考、あるものに云、松はよはひ久しく千とせも経ぬべく、竹は節文ありて君子のみさほあり。ゆづりはしたも深山にありて、世の霜にもいたまず、云々。かゝる常盤にめで度、松竹なれば秋のさびしさをしのばむとの意也。 秋の野や草の中行風の音 一本にはつあらし草の中とあるは非也。 くらがりや三度起ても落し水 |
此道に出てすゞしさよ松の月 愚考、此句にはかならずはし書有べけれども、今欠けて一句聞えず。 山寒し心の庭や水の月 善光寺 月影や四門四州も唯ひとつ 愚考、善光寺は極帝の御本願にて水落郡にあり。一本に「月影や四門四宗も唯ひとつ」と出すは非なるべし。 淺水の橋をわたる。俗にあさうづとよぶ。 かの清少納言の一条あさむつと書るとこ ろ也。 あさむつや月見の旅の明はなれ 愚考、朝水とも書り、奥細道にはもれたり。名寄集ニ あさむつのはしは忍びてわたれども たゞひろびろとなるぞわびしき といふ縁語をとりて、月見の旅のあけはなれとはつくれる也。 清少納言に、一条あさむつと書れたれど、あさむつとばかりにて一条なし。ふ案。 しましまや千々に砕けて夏の海 名月や鶴脛高き遠干潟 愚考、劉長卿之猶対山中月誰聴石上泉それとはなしに此侍也。 蝶鳥のしらぬ花ありあきのそら 愚考、花として蝶鳥のしらぬといふ事やある。されば是は名月の隠し詞にて桂花なり。良夜の月中花ある事は七部大鏡にあきらけし。見合すべし。 勝沢や孫は葡萄を喰ながら 愚考、孫にては聞へず、馬士の伝写なるべし。甲州路の葡萄の名物の地などにての吟なるべけれど未考。 勝沼や馬士は葡萄くひながら 本文は勝沢と出し、孫はとあり、全非なり。 或曰甲州の門人鳳庵と下総の秋腸と草庵に泊り合せり。かの勝沢の葡萄の事を問ふに、勝沢にてはなく、甲府より二宿手前勝沼宿は葡萄の名物なりとぞ。秋腸も勝沼の事を委しく知て物語る。 されば孫も馬士なる事必定也。 |
月院社何丸著
ひとしぐれ礫や降て小石川 愚考、延宝元年の吟なり。むかしは礫川と書、後に小石川とあらたむるといふ故に、此作あり。袖日記には貞享二年の部にのせたるは非なり。貞享元の春より正風体を専らに唱ふ。 正風の句にあらざる事は小児の耳にも分るべし。かゝる俳士の翁の句をとりあつかふはまことに潜上の次第なり。初心の口癖にも貞享元禄の正風とはいふぞかし。かねていふ事あり。寛文・延宝・天和の変風の中にてももれもまれ正風に合ふ句なきにしもあらず。正風の中には変風の句もあらざるとしるべし。よく句の吟を考合してあきらむべし。 しぐれふれ笠松へ着日也けり 冬枯や世は一いろの風の音 草のまくらに寝飽てまだ ほのくらきに海(浜)の方へ出て 明ぼのや白魚しろき事一寸 愚考、いかなる事にや、袖日記に冬の部の句吟に書入たり。いずこに有ても春季なり。爰におもへば白魚は冬のうちにもをりをり取れるなれば、眼前体といひ出し玉ふにや。 何某安適のぬし、牛嶋に閑居しけるを 一夜寝て寒さくらべむ草の庵 によきによきと帆柱寒き入江哉 三面大黒の賛 忘るなよ神の頭巾の締くゝり 祖翁の添書に此画かきたる人は檜倉内記とて十三才成よし、筆のはこびのうつくしかりければ、戯句書侍ると云々。三面大黒未考。 大黒天は西域諸寺に厨の柱に祭り置、訳は飲食をせざる神なれば也。よて大黒柱といふも是なり。俗説には大己貴命を祭ると云々。 蛤のいけるかひあれ年の暮 一書に云、山家集に 今ぞしる二見の浦の蛤を かひあわせとておほふ也けり 愚考、すまの巻の心はへを取ての句なり。海士どもあさりして、貝一物もてまゐれるをめしいでゝ御覧ず。浦にとしふるさまなど問はせ給ふ。さまざまやすげなき身の上を申す。そこはかとなくさへづるも心の行衛は同じこと、何か異なると哀に見給ひ、御衣どもかづけさせ給ふを、いけるかひありと思ヘり。 木曽の虚翁が許にやどりをもとめて 木曽殿とうしろ合せの寒哉 世評に、此句を翁の辞世の様にいひふらすは非なり。 又説、かねて義仲寺に葬ふられたきねがひの吟なりとはあてがひもの也。 石塔の句を生前にせむや笑ふべし。枯尾花に云先たのむの木もありと聞へつべし。幻住庵はうき世に遠し木曽殿と塚をならべてとありしたはぶれも後のかたり句に成ぬ。そのきさらぎの望月の頃と願へるにたがはず、常にはかなき句どものあるを前表と思へば、云々。 木曽城の辺、虚翁が許にてふといひ出たるを此義仲寺に葬るの前表也と其角が書るにて知ぬべし。又そのきさらぎとよめりし西上人も二月十五日に寂すと也、是則物語の意を取の句なり。貝つものは蛤也。いける甲斐ありとおもへり。是は着ものを貰ふたるうれしさなればその俤によらむ。我にも節着をくれる人があらむと興じたる。なかなか凡慮のおよぶ所にあらず。 朝夜さを誰まつ嶋ぞかたこゝろ 頼むぞよ寝酒なき夜の古紙子 |