俳 人
金子万嶽
出羽上山藩の家老。通称六左衛門尉清英。
柳下斎風草
門。上山俳諧中興の祖と言われた。
出羽国 上山城
享保14年(1729年)、上山に生まれる。
寛政6年(1794年)、江戸に出て麻布広尾野に草庵を結び、俳人となる。
晩年は古調庵・道機居士と号した。
文化10年(1813年)4月、
芭蕉の句碑
を建立。
古池や蛙飛ひ込む水の音
碑には古調庵萬嶽の句も刻まれているようだ。
あれほとの雲を起すや雨蛙
文政4年(1821年)2月27日、93歳で没。
文政6年(1823年)10月、古調庵萬嶽社中は
芭蕉の句碑
を建立。
伊賀の国花垣の庄はそのかみ奈良の八重桜の料に附されけるといひ伝へければ
一里はみな花守の子孫かや
万岳の句
朝顔やひとり観する窓の前
『栗庵句集』
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