夫より馬耳子の許に行く。あるじ此頃會津に行き留守也。子息如楓宿にて出迎へられ宿す。可貞。可則。錦蓆なといふ人尋ね來り。風雅の物語に夜更したり。此あるじの亭を攬翠といふ。正徳の比より詩歌連俳の好士。此處に遊ぶ者。風景を述べて。正徳集と云ふ。此度の行脚此所に宿り。此の風景を見。此集を閲す事。風雅の妙也。我も賤しく拙き筆を殘さまほしく思へど。あるじの留守なればいかゞといへば。如風の苦しからずと許さるゝにぞ。矢立取出し。
|
元文5年(1740年)、榎本馬州は馬耳亭を訪れる。
|
馬耳亭
夏草に其おたまきや馬の跡
松島をいそけは又の契りを約して別
『奥羽笠』 |
寛保3年(1743年)9月19日、燕説は73歳で没。馬耳は追悼の句を詠んでいる。
|
誰か皃の跡や手の跡塚の露
|
寛延3年(1750年)11月9日、没。
大安寺に墓がある。
宝暦5年(1755年)5月14日、南嶺庵梅至は馬耳を訪ね、既に故人となっていたのを知る。
|
十四日桑折の馬耳を訪ふ猶子新五郎の曰六年已前の古人と成と
尋るに甲斐なし噫十人の酬和九人ハなし
|
なきを訪ふしるへの水や杜若
|
法圓寺に馬耳の句碑がある。

釜ふいて閑々無事や年の暮れ
馬耳の句
今朝は誰秣を刈て女郎花
雨しよぼしよぼことにあやなし梅の花
十六夜の遅さや親を疊輿
松明の聲や夜討の夜水引
|
如風の句
青すたれ捲や法事の休ミ所
|
俳 人に戻る
