俳 人

中川麦浪
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伊勢山田の人。中川乙由の子。別号麦浪舎、杜菱。『麦林集』を刊行。

元文4年(1739年)8月18日、乙由没。

 元文5年(1740年)2月、佐久間柳居は上方へ旅立つ。麦浪舎を訪ねている。

   麦浪亭より京へ行とて

笠もけふ四ひらの花のちり別れ


 延享3年(1746年)5月、柳居は再び麦浪舎を訪ねる。

七とせを経て麦浪舎を尋ぬ折から端午の節供なれは

物の名も軒は替らすあやめ哉


 秋、佐久間柳居、中川麦浪は難波の有井浮風を訪ねている。

 寛延3年(1750年)6月12日、麦浪は小松を出て松任の千代女を訪ねた。

水無月十二日は小松を出て松任に至る。千代女を訪ふに其日は他にあり、机上の硯をたづねて

夕顔やもの読捨た留守の窓
   麦浪

麦浪の旅館を訪ねて

雲の峰見上げて近ふなりにけり
   千代女

『夏の白根』

 延享3年(1746年)6月、門人堀麦水に迎えられて、金沢に入る。9月、滑川の知十亭へ。

 延享5年(1748年)、『夏の白根』(杜菱編)序。

 宝暦2年(1752年)8月、『鹿島詣』麦浪「後序」。

明和5年(1768年)8月18日死去と伝えられる。

麦浪の句

幾回り硯に匂ふしぐれかな

『文塚』

物かけと芭蕉一もとやれ残り


星合や柳も眉をとらぬ内


毛氈の八艘飛や汐干潟


名月や灯のある船は台ところ


小町より蛙野の歌や春の雨

『千ひろの陰』

凉しさや硯の中に砂の音


鴬や筆置音に飛て行


音はかり瀧をうしなふ櫻哉


涼しさや硯の中に砂の音


春雨や大工の家に槌の音


火縄には伽羅もたかれす山さくら


風はまだ見る計なりことし竹


草はまた枕に低し朧月


わか艸やまた彩色の行足らす


陰日南なしに働く柳かな


花さかり雨も大事に降りにけり


うき島や空にも遊ふ凧


陰日向なしにはたらく柳かな


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