俳 人

小島麦二

上田市常田の人。小島久兵衛弘文。本業は鍋屋と称する鋳物師。橘中庵。

   上田連 

麦二
   小嶋久兵衛


 明和4年(1767年)1月、加舎白雄は俳人として初めて信州行脚。小島麦二宅を訪れる。

 明和8年(1771年)5月28日、加舎白雄は京都に到着。入京中の麦二に会う。

  同年7月、『加佐里那止』(しら尾坊著編)。橘中庵麦二序。自跋。

 安永9年(1780年)3月22日、蝶夢は木曽路を経て江戸へ旅をする途中、麦二を訪ねている。

上田の城下を通るとて、麦二がもとを尋て、しばしの間に昔今を語りあふ。


 寛政3年(1791年)9月13日、加舎白雄没。同日、上田大輪寺で歌仙興行。

麦二門下の「瑠璃連」は信濃国分寺に芭蕉の句碑を建立。麦二書。



はるの夜はさくらにあけてしまひけり

 文化2年(1805年)、麦二は句碑建立を記念して俳額を奉納している。

文化7年(1810年)4月3日、没。79歳。

麦二の句

我人の世を捨て来て月見哉


一棒も待ずに桐の一葉かな


夕皃やある日は花にとまり馬


漁火を二階へとりて涼哉


あれあれし畑の中やおとし角


   高野にて

夕露に親のあしあとふむ日哉


凄いほと夕暮白しやま桜

柄杓井に酌こほしたる椿かな


雪の夜や鉄炮みがく兄おとゝ


此ほどやいとまぞおしき花かり

八朔や袖せまけれどあたらしき

夜の戸や鹿もおどろき我も又


   春秋菴がたよりをもとむとて

文月の八日おかしきたよりかな


生のこる身もまぼろしのとうろ哉


何鳥もなかで深山のしぐれけり


鷹のあと偸たつを見んかんこ鳥


船路経て桜かひある湊かな


舞ひばり子をおもはずば夜に入ん


まつ風や鹿子うまれて鴉啼


岸のやなぎあとなく船はこがれたり


世ににくきものハ鵜飼の昼寝哉


鴫立てのち鴫と知る夕かな


夜の嵐かへつて花の咲もあり


朔日の節季候に眼のさめてけり


雉子の尾の草にもめたる暮春哉


眼鏡にも飛つく夜あり夏の虫


さひしさや涼しやさても角田川


   はやましけ山しけけれと

さハらすも鹿のかけいるはやし哉


駒ひきや埃をたつるみやこ入


軒の山時雨逼(せまつ)てくれにけり


富士のやま花より花をはなれたり


朝雨と見ゆる処や初しぐれ


ますら男がひろにあまりしあやめ哉


初蝶を見ん物ならバ東山


一の雁二の厂渡るあらし哉


さハらずも鹿のかけ込はやし哉


おほ空も花におくれてくれにけり


とりいれぬ染木ふるびんやよ時雨


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