俳 人
南嶺庵梅至
寛保3年(1743年)9月19日、燕説は73歳で没。 |
越高田 |
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仏手柑の指さすかたへ入日かな | 梅至 |
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宝暦5年(1755年)2月、南嶺庵梅至は芭蕉の足跡をたどって江戸に到る。『奥羽の日記』 宝暦13年(1763年)10月12日、南嶺菴連中は芭蕉の句碑を建立。 |
安永6年(1777年)6月、松村篁雨は梅至を訪ねている。 |
高田 梅至叟をたつねて |
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高田 |
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北からも名の薫りけり越の風 | 山本喜右衛門 |
安永9年(1780年)、南嶺庵梅至は『蕉翁追善集』刊行。 |
にらまるゝ月に逃てハしくれ哉 燈篭や市に鎮まる小柴垣 水の月探りて後と知られたり 冬木立漁村ハくツむ夕なり |