俳 人
平山梅人
三河田原藩士で、江戸に住んだ。採荼庵二世。別号第一園。俳諧を広岡宗瑞に学ぶ。広岡宗瑞は中川宗瑞の門人。 |
橘 また橋 宮毛備前守様御屋敷内 梅人 |
天明2年(1782年)10月12日、三河田原の龍泉寺に芭蕉の句碑を建立。 |
天明4年(1784年)5月24日、梅丸は池上本門寺の帰途に梅人の採荼庵に立ち寄る。 天明5年(1785年)、『杉風句集』刊。採荼庵二世となる。 天明5年(1785年)、『名れむ花』(錦水編)採荼庵梅人序。 寛政2年(1790年)、『俳諧深川集』(洒堂編)を復刻。杉風伝来の芭蕉真蹟を模刻して『かしま紀行』刊。 寛政2年(1790年)7月、『冬かつら』(採荼庵杉風編・採荼庵梅人校)梅人序。 寛政3年(1791年)、『続深川集』刊。 寛政5年(1793年)5月、芭蕉の百年忌で採荼庵梅人社中は真性寺に芭蕉の句碑を建立。 |
寛政2年(1790年)7月、『冬かつら』(採荼庵杉風編・採荼庵梅人校)梅人序。 |
享和3年(1803年)、梅人三回忌集として『水の音』(杉長編)刊。 文化4年(1807年)、梅人七回忌に『梅人句集』(郁賀・杉長編)刊。 文化9年(1812年)、梅人十三回忌追善集『栞集』(成蹊編)刊。 文化10年(1813年)、半場里丸は梅人の第一園を継承。 |
初秋や水へ見かへる橋の人 梅柳先おとこ文字女文字 夕すゝみ精進落てもとりけり 五月雨や半夏をわたる風涼し 涼しさや見る間に星の二つ飛ふ 浮く時は一物もなき蛙かな 土佐が繪の松に櫻や棚がすみ 初雪や足らぬふもとは宵月夜 |