俳 書
『阿羅野』(荷兮編)
いといふのいとかすかなる心のはしの、有かなきかにたどりて、姫ゆりのなにゝもつかず、雲雀の大空にはなれて、無景のきはまりなき、道芝のみちしるべせむと、此野の原の野守とはなれるべらし。 元禄二年弥生 |
曠野集 巻之一 |
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花 三十句 |
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何事ぞ花みる人の長刀 | 去来 |
酒のみ居たる人の繪に |
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月花もなくて酒のむひとり哉 | 芭蕉 |
ある人の山家にいたりて |
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橿の木のはなにかまはぬすがた哉 | 同 |
杜 宇 二十句 |
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目には青葉山ほとゝぎす初がつほ(を) | 素堂 |
月 三十句 |
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名月や海もおもはず山も見ず | 去来 |
十三夜 |
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影ふた夜たらぬ程見る月夜哉 | 杉風 |
三日 |
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何事の見立てにも似ず三かの月 | 芭蕉 |
雪 二十句 |
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大津にて |
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雪の日や船頭どのゝ顔の色 | 其角 |
いざゆかむ雪見にころぶ所まで | 芭蕉 |
京 |
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かさなるや雪のある山只の山 | 加生 |
岐阜 |
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夜の雪おとさぬやうに枝折らん | 除風 |
ちらちらや淡雪かゝる酒強飯(さかこはひ) | 荷兮 |
はつ雪や先草履にて隣まで | 路通 |
曠野集 巻之二 |
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歳 旦 |
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二日にもぬかりはせじな花の春 | 芭蕉 |
元朝や何となけれど遅ざくら | 路通 |
しづやしづ御階にけふの麦厚し | 荷兮 |
初 春 |
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かれ芝やまだかげろふの一二寸 | 芭蕉 |
暁の釣瓶にあがるつばきかな | 荷兮 |
蘭亭の主人池に鵝を愛せられしは筆意有故也 |
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池に鵝なし仮名書習ふ柳陰 | 素堂 |
仲 春 |
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うごくとも見えで畑うつ麓かな | 去来 |
山崎 |
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手をついて哥申あぐる蛙かな | 宗鑑 |
暮 春 |
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ほろほろと山吹ちるか滝の音 | 芭蕉 |
松明にやま吹うすし夜のいろ | 野水 |
曠野集 巻之三 |
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初 夏 |
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山路にて |
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なつ来てもたゞひとつ葉の一つ哉 | 芭蕉 |
麦かりて桑の木ばかり残りけり | 作者不明 |
深川の庵にて |
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庵の夜もみじかくなりぬすこしづゝ | 嵐雪 |
仲 夏 |
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この比は小粒になりぬ五月雨 | 尚白 |
おなじ所にて |
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おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉 | 芭蕉 |
おなじく |
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鵜のつらに篝こぼれて憐也 | 荷兮 |
鴨の巣の見えたりあるはかくれたり | 路通 |
撫子や蒔繪書人をうらむらん | 越人 |
庵の留主に |
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すびつさへすごきに夏の炭俵 | 其角 |
夕がほや秋はいろいろの瓢かな | 芭蕉 |
曠野集 巻之四 |
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初 秋 |
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ちからなや麻刈あとの秋の風 | 越人 |
秋風やしらきの弓に弦はらん | 去来 |
あの雲は稲妻を待たより哉 | 芭蕉 |
いなづまやきのふは東けふは西 | 其角 |
ひよろひよろと猶露けしや女郎花 | 芭蕉 |
仲 秋 |
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かれ朶に烏のとまりけり秋の暮 | 芭蕉 |
しらぬ人と物いひて見る紅葉哉 | 東順 |
関の素牛にあひて |
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さぞ砧孫六やしき志津屋敷 | 其角 |
暮 秋 |
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荷兮が室に旅ねする夜、草臥なを(ほ)せとて、箔 |
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つけたる土器出されければ |
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かはらけの手ぎは見せばや菊の花 | 其角 |
曠野集 巻之五 |
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加賀 |
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火とぼして幾日になりぬ冬椿 | 一笑 |
仲 冬 |
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冬籠りまたよりそはん此はしら | 芭蕉 |
曠野集 巻之六 |
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十月江南天気好 可憐冬景似春美 |
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こがらしもしばし息つく小春哉 |
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絶聖棄知大盗乃止 |
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七夕よ物かすこともなきむかし | 越人 |
曠野集 巻之七 |
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名 所 |
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から崎の松は花より朧にて | 芭蕉 |
関こえて爰も藤しろみさか哉 | 宗祇法師 |
美濃国関といふ所の山寺に藤の咲たるを見て |
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吟じ給ふとや |
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五月雨にかくれぬものや瀬田の橋 | 芭蕉 |
湖の水まさりけり五月雨 | 去来 |
いざよひもまたさらしなの郡哉 | 芭蕉 |
星崎のやみを見よとや鳴千鳥 | 芭蕉 |
旅 |
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雲雀より上にやすろ(ら)ふ峠かな | 芭蕉 |
大和國草(平)尾村にて |
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花の陰謡に似たる旅ねかな | 芭蕉 |
あき風に申かねたるわかれ哉 | 野水 |
ひとつ脱で後におひぬ衣がへ | 芭蕉 |
さらしなに行人々にむかひて |
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更級の月は二人に見られけり | 荷兮 |
越人旅立けるよし聞て京より申つかはす |
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月に行脇差つめよ馬のうへ | 野水 |
おくられつおくりつはては木曾の秋 | 芭蕉 |
草枕犬もしぐるゝか夜るの声 | 芭蕉 |
狩野桶といふ物、其角のはなむけにおくると |
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て |
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狩野桶に鹿をなつけよ秋の山 | 荷兮 |
鳴海にて芭蕉子に逢ふ(う)て |
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いく落葉それほど袖もほころびず | 荷兮 |
其角にわかるゝとき |
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あゝたつたひとりたつたる冬の旅 | 荷兮 |
天龍でたゝかれたまへ雪の暮 | 越人 |
越人と吉田の駅にて |
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寒けれど二人旅ねぞたのもしき | 芭蕉 |
述 懐 |
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高野にて |
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父母のしきりに恋し雉子の声 | 芭蕉 |
ふるさとや臍のをに泣年の暮 | 芭蕉 |
人のいほりをたづねて |
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さればこそあれたきまゝの霜の宿 | 芭蕉 |
無 常 |
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末期に |
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散る花を南無阿弥陀仏と夕哉 | 守武 |
いもうとの追善に |
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京 |
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手のうへにかなしく消る螢かな | 去来 |
子にを(お)くれける比 |
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似た顔のあらば出てみん一躍り | 落梧 |
母におくれける子の哀れを |
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おさな子やひとり食くふ秋の暮 | 尚白 |
曠野集 巻之八 |
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木履はく僧も有けり花の雨 | 杜国 |
西行上人五百歳忌に |
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はつきりと有明残る桜かな | 荷兮 |
花に酒僧とも侘ん塩ざかな | 其角 |
垣越に引導覗くばせを哉 | 卜枝 |
河原迄瘧(おこり)まぎれに御祓(みそぎ)哉 | 荷兮 |
しばしかくれゐける人に申遣す |
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先祝へ梅を心の冬籠り | 芭蕉 |
曠野集 員外 |
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誰か華をおもはざらむ。たれか市中にありて、 |
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朝のけしきを見む。我東四明の麓に有て、花 |
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のこゝろはこれを心とす。よつて佐川田喜六 |
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の、よしの山あさなあさなといへる哥を、実 |
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にかんず。又 |
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麦喰し鴈と思へどわかれ哉 |
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此句尾陽の野水子の作とて、芭蕉翁の伝へ |
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しをなを(ほ)ざりに聞しに、さいつ比、田野へ |
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居をうつして、実に此句を感ず。むかしあま |
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た有ける人の中に、虎の物語せしに、とらに |
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追はれたる人ありて、独色を変じたるよし、 |
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誠のおほふべからざる事左のごとし。猿を聞 |
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て実に下る三声のなみだといへるも、実の字 |
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老杜のこゝろなるをや。猶鴈の句をしたひて |
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麦をわすれ華におぼれぬ鴈ならし | 素堂 |
この文人の事づかりてとゞけられしを、三人 |
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開き幾度も吟じて |
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手をさしかざす峰のかげろふ | 野水 |
深川の夜 |
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厂がねもしづかに聞けばからびずや | 越人 |
酒しゐならふこの比の月 | 芭蕉 |
我もらじ新酒は人の醒やすき | 嵐雪 |
秋うそ寒しいつも湯嫌 | 越人 |