蕉 門

秋之坊
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 金沢の門人。前田藩の武士、後に武士を捨て剃髪して秋之坊と称した。別号寂玄。

秋之坊 加賀金城名高大隱者也、我暦作れり聞べしト、正月四日万此世を去によし口づさみ、うつむき死ス。驚云 いねつむと見せて失けり秋之坊 東李

『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿)

 元禄元年(1688年)12月6日、小杉一笑没。秋之坊は追悼の句を詠んでいる。

槿やはさみ揃て手向くさ


 元禄2年(1689年)7月、芭蕉が『奥の細道』の旅で金沢を訪れた折に入門。

   無常迅速

やがて死ぬけしきは見えず蝉の聲

 元禄3年(1690年)、幻住庵で秋之坊に示した句だそうだ。

むかし湖南の幻住庵に。一夜の夢をむすびしが。其夜もしらずよみしやすらん。にくみしやすらん。無常迅速の一句をあたへて。先師も麓までおくりは申されしか。

「示秋之坊辭」(支考)

 元禄8年(1695年)、秋の坊庵で翁の一周忌を営む。

   翁の一周忌は、秋の坊庵にあつま
   りて法師へかたみの、やかて死ぬ
   けしきは見えすのかけ物に向ひて

   題時雨

しくるゝや師匠なき世の神無月
 句空

取かへす心も消るしくれ哉
 北枝

一しくれふる中程の心かな
 秋之坊


 元禄10年(1697年)11月、『喪の名残』(北枝編)刊。自序。秋の坊跋。

 元禄14年(1701年)、支考は秋之坊を訪ねている。

   秋之坊興行

ちかつきになりて腰より扇哉


 元禄16年(1703年)10月9日、浪化は33歳で没。

霜月の梅おそなはる手向哉


享保3年(1718年)正月4日、寂。

白山市の良源寺に秋之坊の句碑がある。



佛負ふ檜笠の下や刈田道

秋の坊は石川郡鶴来の人ともいう。

秋之坊の句

東君また身の耻ゆるしたびにけり


幣雪ふりふり霞む山邊かな


   病 中

秋の蠅かうべむやむや足ぜゝり


油火のこくも時雨る夜比かな


花ざかり酒売のゐる家の松


   いほりに客をまふけて

燃てくれ紅葉の枝に小折なし


もえてくれ紅葉の枝に小折なし


晝かほに消ては夜のほたるかな

おさな子の嬉しかりけり玉祭


藤の花あふのく男あほうらし


名月や酒ほしかほに椽の雨


うくひすの顔をかたけて花のうら


夕暮や浮世の空のいかのほり


畑打てつれなのとゝや川むかひ


月夜にも闇にもならす雪吹かな


遠山や蜻蛉つい行(き)ついかへり


遠山やとんぼつい行ついもどる


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