俳 人

奥村亜渓 ・ 志宇

奥村亜渓は三雲村平松の代官奥村俊治。美松亭。

亜渓平松村 奥村俊治

周女

『名録帖』(文通帖)

文化7年(1810年)10月12日、義仲寺の時雨会に参列。

捨鐘をふたつ慥に時雨けり


文政3年(1820年)6月25日、73歳で没。

 宝暦11年(1761年)、志宇女は近江国大津に生まれる。加藤曉台に師事。奥村俊治に嫁ぐ。

文政13年(1830年)1月、『千載集』(志宇女)。

天保5年(1834年)3月12日、没。

奥村家菩提寺西照寺に葬られた。

亜渓の句

陽炎や其俤を塚のうへ

『風羅念仏』(法会の巻)

四五輪の花に雫や初しぐれ


なるやうになるをし鳥の双ひ哉


はつ液雨赤い中なるちから草


舟引の綱に芒にゆくしくれ


   ふたつならびたるものはまれに。美
   し松またすくなし。

蝸牛ひとりをにすむ小家かな


合点して聞ばきく程閑古鳥


時雨来し夕々や此夕


合点して聞ばきくほどかんこ鳥


西照寺に奥村亜渓と妻志宇の句碑がある。



卯の花にすそすれすれて更衣
   美松
 亜渓

五月雨に草木のこころ引き立てる
 志宇

昭和49年(1974年)5月、亜渓・志宇百五十回忌記念に奥村敬次郎建立。

湖南市石部東の十禅寺緑地公園に芭蕉の句碑がある。



松風の落葉か水の音涼し

奥村志宇女の文字。

志宇女の句

夕霞花は朧の渡月橋


手にふれと(ママ)見れば消けり初氷


くさき衣干るあり帰り花


埋火や人の来ぬ夜も面白ひ


おもはくのまゝを高雄に降時雨(※「雨」+「象」)


一しくれ持ぬ夕日の檜木山


高声は森の社や夕しくれ


けふの日を菊ハ忘れず八重葎


薺うつひゞきに出たり月の梅


楢の葉に山がかくれてほとゝぎす


はつ花のおもひ液雨の照消る


あら鷹や吹雪の中を雲に入る


春の雨はつ瀬に袖をぬらしけり


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