俳 人
神野曙庵
本巣郡芝原北方の人。神野嘉右衛門。虚白。後、大垣に住む。再和派(北方派)十六世。
安政6年(1859年)、
発句塚
建立。
乗りながら馬繋かれて春寒し
軽花坊
菜の花の香やほろほろと暮の雨
神野曙庵
軽花坊は久世友輔。
五竹坊
門下。
明治20年(1887年)2月、
芭蕉の句碑
を建立。
廬元坊
書。
古池や蛙飛込こむ水の音
明治28年(1895年)、道統を退く。
明治29年(1896年)10月、初狩の此処庵大弌雅哲は
葎塚
を建立。春秋庵
三森幹雄
筆。「補助」の中に「美濃 虚白」が見える。
明治32年(1899年)10月10日、建碑を記念して『葎塚集』(此処庵大弌編)刊行。曙庵虚白序。
明治39年(1906年)5月24日、77歳で没。
北方町の
西運寺
に「曙庵」の碑がある。
碑の右側面に曙庵の句が刻まれている
花ならは散るへき鐘を夕紅葉
大垣市の
禅桂寺
に「曙菴」の碑がある。
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