俳 人

半沢二丘
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 漆山の大地主半沢久次郎。桃皐亭。常世田長翠に師事。後に松窓乙二の門に入る。

二丘 一号 出羽最上漆山 半沢久次郎

 たゝまねは猫の寝たかる衾かな 二丘


 文政13年(1830年)7月19日、一具は二丘を伴い出羽最上の稲州を訪れる。

 文政13年(1830年)10月、芭蕉の句碑を建立。現在行方不明である。

眉掃碑 在山形城北漆山半沢氏、桃皐二丘建之、近歳秋元侯陣営移此所、風月盛繁也

 天保4年(1833年)、碓嶺は半沢亭を訪ねている。

   最上漆山半沢亭

隣へも行道つけて庵の雪
   碓嶺


 天保12年(1841年)7月7日、最上稲沢の工藤稲州は翁の句碑を拝まんと立石寺に詣でる。帰路、半沢亭に立ち寄り3泊する。

 天保13年(1842年)10月24日、二丘は稲州を訪れる。

 嘉永4年(1851年)頃、一如庵遜阿は板谷峠を越えて羽州に入り、象潟を経て大館まで旅をする。半沢二丘も同行したようである。「自他紀行」

 嘉永6年(1853年)4月、立石寺に芭蕉の句碑を建立。高橋一具書。



閑さや巖にしみ入蝉の声

右側面に高橋一具の句が刻まれている。

左羽に夕日うけつゝほとゝきす

左側面には「二丘」と「川丈」の句。

楽書や笹の葉にある清水哉
   二丘

花さかぬ草木から風薫りけり
   川丈

安政3年(1856年)正月26日、没。

二丘の句

七夕や川の向ふは非人町


老か手は長いといふや羽子遊ひ


煤掃て書直しけり種俵


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