俳 人

子日庵一草
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一草の句

仏仙に俳諧を学ぶ。初号也鳧(やふ)庵。別号時雨房。

 黒沢尻または鬼柳の出身といわれる。漂泊の俳人として全国を歩き、蕉風運動に尽くした。

 天明元年(1781年)、秋田の吉川五明を訪問。

 天明3年(1783年)、再び吉川五明を訪問して、越冬。

初めて京に上る時、夏目成美に紹介状を求めている。

南部の一草、はじめて京へゆく。「しれる人のもとへ状書てそへよ」といふにしたゝめつかはすとて

夜すゞみやかならず袂ひくあらむ


 寛政元年(1789年)10月12日、潮来の長勝寺に時雨塚を建立。時雨坊と改める



旅人と我名よばれむはつしぐれ

 寛政4年(1792年)、一草は秋田の宝塔寺を訪れ、五明が建立した芭蕉の句碑を見ている。



四つ五器のそろはぬ花見こゝろ哉

 寛政5年(1793年)、時雨塚建立記念句集『潮来集』刊行。

 寛政11年(1799年)3月8日、一草は恒丸と共に兵庫に向かう。

 文化5年(1808年)10月12日、一草は義仲寺の時雨会に参列している。

  「猿も小蓑をほしけなり」とのたま
  ひし、其みのゝ切を伝りもちて、け
  ふの精廟の会式にあふ
摂津兵庫
南無時雨ふるきに蓑をきせ申
   一草


 文化12年(1815年)、吉川五明十三回忌の追善句集『小夜志久麗』(尋風編)。子日庵一草跋。

文政2年(1818年)11月18日、88歳で没。

 明治26年(1893年)、正岡子規は「はて知らずの記」の草案「波手志羅須記準備稿」に一草の4句を選句している。

北上市の中央児童公園に子日庵一草の句碑がある。


萩見つゝをればそなたに月出る

神戸市の生田神社に子日庵一草の句碑がある。


神垣や又とをらせぬ梅の花

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