俳 人
松島十湖
掛川の伊藤嵐牛に俳諧を学ぶ。別号撫松庵、年立庵。大蕉庵。七十二峰庵。
嘉永2年(1849年)3月17日、豊田郡中善地村(現:浜松市)に生まれる。
浜松市の豊西町上公会堂が十湖の別庵
撫松庵跡
である。
明治12年(1879年)5月、年立庵十湖は芭蕉の句碑を建立。
しはらくは花の上なる月夜かな
明治24年(1891年)、
松島十湖の句碑
を建立。
山吹や人の富貴も水の穴
明治29年(1896年)4月、
芭蕉の句碑
を建立。
ふる池や蛙とひこむ水乃音
松島十湖の句も刻まれていたようだ。
汽車中
つかの間や不二をまへにし後にし
明治29年(1896年)10月、初狩の此処庵大弌雅哲は
葎塚
を建立。春秋庵
三森幹雄
筆。「補助」の中に「遠江 十湖」が見える。
明治39年(1906年)4月、笠井町の福来寺境内に「百句塚」建立。発起人は大木久市郎(号・随虎)、補佐は松島十湖。
「十湖百句塚」
に句碑がある。
訪ふ人もひとふしあれや竹の春
大正初年、
松島十湖の句碑
を建立。
月風や夏しら波の海と湖
大正13年(1924年)、
松島十湖の句碑
を建立。
はま松は出世城なり初松魚
群馬県東吾妻町の
川戸神社
に芭蕉の句碑がある。
しはらくは花の上なる月夜かな
大正3年(1914年)1月17日、大蕪庵十湖書。
大正15年(1926年)7月10日、十湖は78歳で没。
昭和13年(1938年)、句碑建立。
伊賀市の
愛染院
に大蕪庵十湖の句碑がある。
白菊に紅さしてくるはつしぐれ
大井川河川敷
に十湖の句碑がある。
はま松は出世城なり初松魚
平成3年(1991年)3月3日、
芭蕉と十湖の句碑
を建立。
水僊や白きさうじの友うつり
芭蕉
萬世にひゞけ蛙の水の音
十湖
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