俳 人
田中百井
明和3年(1766年)、白井鳥酔は加舎白雄を伴い銚子の夏霜観を訪れている。 |
夏霜観記 明和三年歳丙戌に舎る初秋四日、知夫利の神を祈りて昨烏坊を携へ南総に行李をさためやゝ四十日はかり杖の跡を紅毛国字に曳きありき、良夜は北総銚子の湊荒野青螺観にのほり、藻友とともに清風清光一銭を用す目を肆に放て算ふれは千艘白しと口号し后の月は飯沼田中氏百井子あるしなふけせられて宴す。 |
安永7年(1778年)8月19日、横田柳几は田中百井を訪れたが、江戸に出て留守だった。 |
船を上りて飯沼田中氏百井を訪へは訴への事有て江府に逗留の留守なれは又船に乗て富田屋丁油屋か客舎にやどる医師萩原氏至岡問来て夜話数刻に及ひて臥ぬ |
天明2年(1782年)、加藤暁台は房総行脚。銚子を訪れた。 |
ものいへは唇さむし秋の風 | 芭蕉翁 |
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見るところたゝ月ひとり澄む | 暁台 |
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追々に鹿きく友の音信て | 鳥朝 |
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雫をふるふ雨後のからかさ | 百井 |
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足音は南にありて梅の花 登る日を拭ふては出す霞哉 はつ汐や椽につまづくいつくしま 五十町目を置なをすさくらかな すこやかに松風うごく枯野哉 ひる中の小雨にひかる尾花哉 |