藤岡市高山字椚山は平野から急に山嶽が突起重畳した海抜五百メートルの山村で、何れの方面からも急坂を登るようになっているが、その旧道の一つ松生という小さな峠に立つこの句碑は、二尺四寸に一尺の平ぺったい青石で文字がなかなか美しくかつ絶好の環境にある。黒沢一郎氏の曾祖父麗々庵嘉正が明治二十年ころ建立の翁塚第二号で書者は養子真十郎。一代に二碑を営みしもの嘉正の如きはは珍しい。句は元禄三年「猿簔」にある。
『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著) |
山 行 |
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遠 上 寒 山 石 径 斜 |
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白 雲 生 處 有 人 家 |
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停 車 坐 愛 楓 林 晩 |
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霜 葉 紅 於 二 月 花 |
遠ク寒山ニ上レバ石径斜ナリ |
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白雲生ズル処人家有リ |
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車を停メテ坐ニ愛ス楓林ノ晩 |
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霜葉ハ二月ノ花於リモ紅ナリ |
「上州緑埜郡白塩村嘉正建之」を最終記事のあと空白の諸国翁墳記は印象的だ。それは明治二年のこと。今の藤岡市高山字椚山の名主嘉正治(黒沢一郎氏曾祖父)が全国芭蕉塚登録制度にとどめをさしたかっこう。そのくせ彼は何も知らずに、粟津野の沙汰聞日より時雨けりと前年の冬ほっと一息手続ずみの感懐をもらしている。現在地区の稲荷境内にあるが元の高札場の方がより以上一望千里の感じにぴったりする。貞亨二年「小文庫」の句。
『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著) |