題しらず あづまぢやしのぶのさとにやすらひてなこそのせきをこえぞわづらふ |
みるめ刈る海人の往来の湊路に勿来の関もわが据なくに
『新勅撰和歌集』 |
陸奥国にまかりける時、勿来の関にて花の散りければよめる。 |
吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな |
寛文2年(1661年)7月20日過ぎ、西山宗因は勿来の関を越えて松島へ向かった。 |
身をうき草のさそはるゝかたもなくて、こゝろのゆくところにまかせて、春過秋来、既文月二十日余には、みちのくのなこその関をこえて、なにがしの城下にいたる。
「松島一見記」 |
享保元年(1716年)、稲津祇空は常盤潭北と奥羽行脚の帰途勿来の関を訪れている。 |
名古曽 関の謎折ふし紅葉今も猶 |
天保15年(1844年)、西馬は奥州行脚の途上、勿来を訪れている。 |
勿来古関 若葉にも鳴や勿来の呼子鳥 |
嘉永5年(1852年)1月23日、吉田松陰は勿来の関を越える。 |
勿來の故關を越ゆ。故關は山上に在りて、今の道は則ち山下の海濱なり。 |
明治39年(1906年)9月10日、河東碧梧桐は勿来の関を訪れた。 |
勿来の関は九面(ここつら)の町はずれから左に数町上るのである。峰の上に松が五七本立っておる。東に海を見晴らし、西に常磐の連山を望む眺望は、馬上一顧の値いがある。蹄の跡というまでもなく、昔の関所も街道もどこをしるしとする便りもない。桜はこの頃化石になって出るという。 |
勿来関趾 松の外女郎花咲く山にして |
――関址は海岸より数町距りたる丘陵にあり 萩咲くやみちのくへ入る関のあと
『新樹』 |