2022年福 島

満福寺〜『はて知らずの記』〜
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二本松市油井飯出に満福寺という寺がある。

あだち野のむかし物語

弁慶と満福寺

 満福寺は慈覚大師が建立開基□□□吉祥院と名づけられた由緒あるお寺です。

 その後、今から800年前、兄・源頼朝に追われ、平泉に落ち延びようとした源義経と弁慶達主従がこの吉祥院で昼食をご馳走になりました。そのお礼に弁慶は「飯出山吉祥院満腹寺」と名づけて立ち去りました。その時からこの辺りは飯出(いいで)という地名になりました。

 その200年後、田地ヶ岡(二本松)の畠山國詮(くにあきら)は、祖父高國、父國氏の法要を満腹寺で行い、鎌倉の弁慶寺ともいわれる鎌倉の竜護山満福寺の高僧に読経をお願いしました。それで「満腹寺」は「満福寺」になったといわれています。

紫陽花が咲いていた。


飯出山満福寺


天台宗の寺である。

明治26年(1893年)7月19日、正岡子規は満福寺を訪れ、1泊する。

 留めらるゝまゝに一泊す。佛龕(ぶつがん)に隣りて書院の眞中に寐ころびたるも我身此世ならぬ心地す。

      寺に寐る身の尊とさよすゞしさよ


正岡子規の句碑があった。


   奥州行脚の時
   満福寺に一夜の
   宿を請ふて

寺に寐る身の

 尊とさよすゞしさよ

昭和37年(1962年)12月16日、子規追遠会建立。



 母親とは
  そばに居ると うるさく
   離れると 恋しく
  お星さまになると初めて
かけがえのない 存在となる

満福寺には高村光太郎の妻智恵子の生家長沼家のお基があるそうだ。

杉田住民センターへ。

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