南北朝時代、結城親朝(ゆうきちかとも)が興国元年(1340年)に小峰ヶ岡に城を構えたのが始まり。 寛永4年(1627年)、丹羽長重は棚倉藩より白河に入り、初代藩主となる。 寛永9年(1632年)、小峰城完成。 寛永20年(1643年)、丹羽光重は二本松藩へ移封され、その初代藩主となる。 天明3年(1783年)、松平定信は藩主となる。天明の大飢饉の最中である。 天明7年(1787年)、定信は老中首座・将軍輔佐となる。 寛政3年(1791年)6月3日、鶴田卓池は白河を訪れている。 |
三日 二り半矢吹 壱り廿九丁大田川 是ヨリ 百文ニ九十六文通用也 二り四丁白川 白川城主松平越中守 十万石
『奥羽記行』(自筆稿本) |
寛政5年(1793年)7月23日、定信は老中首座並びに将軍補佐の職を辞す。 |
藩主阿部正外(まさと)は蟄居、阿部正静(まさきよ)は棚倉に左遷され、白河は天領となって幕末の動乱を迎える。 |
嘉永5年(1852年)1月25日、吉田松陰は白河に着き、28日まで滞在。 |
二十六日 雪。白川に滯まる。劍客箕田大六を訪ふ。其の人愚魯にして目に一丁字なく、語る所も尋常の俗談のみ、而して一事を記す。「白川城は織田氏の時始めて築き、丹羽長秀を置く。近ごろ城を修して石材に五郎左衛門の字を刻めるものを得たり」。と。 |
慶応4年(1868年)閏4月20日(陽暦6月10日)会津藩兵に襲われ、焼失。5月1日(陽暦6月20日)落城。 |
明治26年(1893年)7月20日、正岡子規が訪れている。 |
小峰城・三重櫓は、震災の影響で石垣が崩れているため、入場を見合わせております。 |