寺伝によれば、大同元年(806年)唐(現在の中国)から帰国した空海の創建とされます。兵火により一時荒廃しますが、福岡藩二代藩主黒田忠之により再興されました。境内には、堂内扉に仙腰a尚の他、当時の文人の書画が刻まれた天保13年(1842年)建立の六角堂や、忠之をはじめとする福岡藩主の墓所があります。また、本尊の木造千手観音立像は国の重要文化財に指定されています。平成4年(1992年)には木造座像としては国内最大級の「福岡大仏」が建立されました。 |
木材 奈良吉野桧・高知四万十桧の全て桧の赤身材を使用しています。桧78t使用 屋根 瓦は美濃の岐阜耐寒瓦で1200度の高温で焼成されています。総数17,85 0枚の瓦を使用 相輪 青銅鋳物製金箔仕上げ、高さ8mの東長寺オリジナル型となっています。 露盤には、中央に輪宝を右に黒田藤、左に五三の桐の寺紋が彫られています。 露盤上伏鉢の中に、弘法大使御請来の仏舎利が安置されてます。 基壇 沓石に岡山の万成御影石・基壇に佐賀の天山御影石を使用してます。石材30t 使用 塗装 伝統工芸(膠を使用)の嵩高鉛丹・胡粉で木材の保護をしてます。 |
福岡藩主黒田家墓所には、真言宗に帰依した二代忠之・三代光之・八代治高の三人の藩主が葬られています。墓碑は高さ約5.4m〜5.8mの花崗岩製の巨大な五輪塔で、忠之の墓前には殉死した5名の家臣の墓碑が並んでいます。墓所は三藩主が葬られた当初の姿をとどめていることがわかっており、福岡藩の歴史を伝える貴重な史跡です。なお、藩祖黒田如水(官兵衛)、初代長政をはじめ他の藩主の墓は、黒田家の菩提寺であった臨済宗崇福寺の北側(博多区千代4丁目)と東京にあります。 |