此院主道に好ける人にて、心ざしを尽くさむと見えたるも忝なく、明ぬれば、此所の様を見待るに、前に入海遙かにして、志賀の島を見渡して、沖には大船多くかゝれり。唐土人もや乗けんと見ゆ。左には夫となき山ども重なり、右は箱崎の松原遠く連なり、仏閣僧坊数も知らず、人民の上下門を並べ、軒を争ひて、その境四方にひろし。 |
1間1戸の平唐門。屋根に唐破風(からはふ)(中央がむくり。両端が反る形)がある門を唐門とよび、唐破風が側面にある門を平唐門、正面にある門を向唐門(むかいからもん)という。この唐門は、かつて本殿の前にあり、18世紀末から19世紀初頭(江戸時代後期)に建てられたと考えられている。小規模だが、檜皮葺の屋根が美しく、細部が華やかな朱塗の門。市内では希少な江戸時代の平唐門であり、貴重な建造物である。 |
住吉神社は『延喜式』(建長5年(927年)に完成)の神名帳に明神大社として、その名が見える式内社で、筑前国の一の宮、旧官幣小社でありました。祭神は底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うわつつのをのみこと)です。平安時代には朝廷からの奉献を受けたことが記録に残され、古代から国家鎮護や船舶守護の神として信仰されてきました。また、中世には和歌の神としても敬われ、著名な連歌師である宗祇もここを訪れています。 |
寺に帰りて、此所にたち給ふ住吉の御社に参てみれば、粗垣(あらがき)の廻り遙かにして、連なれる松の木立神さびたり。楼門半ばは破れて、社壇も全からず。いかにと問へば、此十とせ余りの世中の乱故と言へるも悲し。神前の祈り此道の外の事なし。 |
大阪の住吉大社・下関の住吉神社とともに日本三大住吉のひとつとして数えられているそうだ。 |