慶長7年(1602年)、細川忠興(1563−1645)は小倉城の大規模築城に乗り出し、小倉城庭園がある場所には細川氏の筆頭家老である松井氏の屋敷と庭園が築造されました。寛永9年(1632年)、細川氏は熊本へ移封、代わって小笠原氏が小倉城に入城します。松井氏の屋敷は藩主小笠原氏の下(した)屋敷として生まれ変わり、回遊式庭園を備え、和歌や茶の湯などを楽しむ御遊所となりました。 慶応2年(1866年)、幕府の長州戦争に際し、長州藩の反攻を受けた小倉藩は自ら小倉城に火を放ち、田川郡香春(かわら)に撤退しました。こうして下屋敷庭園としての歴史も終焉を迎えたのです。 平成10年(1998年)、小倉城庭園は小笠原氏の下屋敷跡になり、伝統文化を伝える施設として建設されました。 |