祭神は底津綿津見神・仲津綿津神・表津綿津見神。海神(わたつみのかみ)の総本社と称えられる当社は、海上守護の神として『万葉集』にも詠われ、古来より信仰されています。毎年1月2日には古式神事「歩射祭」が始まり、近年では1月15日に近い日曜日に、8人の射手が神社参道に立てられた大的を弓で射る「歩射」がおこなわれています。また、神幸行事の他、春と秋の「山ほめ祭」も県の文化財に指定されています。境内には、鹿の角1万本をおさめた鹿角堂、万葉歌碑などがあります。 |
ちはやぶる鐘の |
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岬を過ぎぬとも |
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われは忘れじ |
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志賀の皇神 |
(巻7・1230)
「航海の難所である鐘の岬を過ぎたとしても、わたしは海路の無事をお願いしたこの志賀の神様を忘れません。」という意味の歌です。 ちはやぶるとは凶暴なとか勢いが強い意味とされ、鐘の岬は現在の宗像市鐘崎の織幡神社が鎮座する岬で、対峙する地島との間の瀬戸は航海の難所でした。志賀島から船出して奈良の都へ向かう官人が詠んだものです。
福岡県教育委員会 |
十一月一日 福岡、志賀島 しかの島の弘(ひろ)の港の末枯るる 同二日 志賀海神社 わだつみの神とも申す冬日和
『芹』 |
志賀島 三句 |
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家あり枯萱ばかり家もなし田がすこし | 三月四日 |
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ここな小島の大きなみかんの甘しとも甘し |
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(志賀海神社) |
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椎の老木の古宮の椿は青い潮におちる |
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その昔、神功皇后が三韓へ出兵される際、正面対岸の打昇浜にある亀ヶ池・亀栖池の辺りにて無事凱旋できるよう阿曇磯良丸を通じ祈願され、七日七夜のお神楽を奏されました。すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が出現され皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導いたと伝えられ、黄金雌雄の亀は亀ヶ池・亀栖池に放たれましたが、後に石となって現在の金印公園近くに現われ、寛文10年(1671年)4月11日に社前に納められました。 遥拝所は右斜め対岸の大嶽神社・小嶽神社と正面真東の伊勢の神宮、宮中三殿等を拝します。 |