長塚節(1879〜1915)は正岡子規に歌の指導を受けたアララギ派の歌人であり、子規の没後、短歌雑誌『アララギ』の創刊に携わりました。また、作家としても小説『土』を執筆し、農民文学の確立に大きく貢献しました。明治45年(1912年)、喉頭結核を患い、高浜虚子門下の俳人でもある九州大学病院の久保猪之吉博士のもとで治療を続けましたが、大正4年(1915年)、その甲斐もなく37歳で亡くなりました。 |
しろかねのはり打つことき |
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きりきりす幾夜はへなは |
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すヽしかるらむ |
大正3年(1914年)9月の『アララギ』に「鍼の如く 其の四」として発表された歌。 |