2020年福 岡

三宜楼〜高浜虚子〜
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栄町商店街から西へまっすぐ登ると、三宜楼(さんきろう)です。

昭和6年(1931年)4月。新築・開業。

 昭和11年(1936年)2月21日、高浜虚子は門司着。三宜楼で門司市長後藤多喜蔵の招宴。

二月二十一日。朝、門司著。萍子招宴、三宜樓。

 壇之浦を過ぎ滿開の梅の寺

 老木の梅咲きそめし寺に来し

 僧我を咎め顔なり梅の寺

 梅を見て明日玄海の船にあり

 風師山梅ありといふ登らばや

 太宰府の梅やいかにと門司船出


3階和室に「俳句の間」がある。


22日、虚子は風師山(かざしやま)に登る。正午、門司出帆。上海に向かう。

 二十二日朝、萍子の案内にて自動車道を門司の高山眺望絶景の風師山に登らる。

 一行は虚子先生、章子嬢、楠窓、しづの女、萍子等。

      先生作句

   風師山梅ありといふ登らばや

   今日もまた船をのぼりて梅を見る

後藤萍子「門司港に於ける虚子先生」

掛軸を拡大。


風師山梅ありという登らばや
   虚子

谺して山ほととぎすほしいまゝ
   久女

平成26年(2014年)4月、一般公開。

風師山登山口に虚子の句碑があるそうだが、旅の途中で登るのは大変だ。

後日、タクシーで行った。

昭和11年(1936年)、吉井勇は下関から門司に入り、風師山に登る。

風師山にのぼりて空を仰ぐとき雲と遊ばむこころ起りぬ

風師山のぼれば天の日もちかしすなはち心燃えにけるかも

『天 彦』

風頭山に歌碑がある。

久女の句は英彦山で詠まれた句。

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