昭和11年(1936年)2月21日、高浜虚子は門司着。三宜楼で門司市長後藤多喜蔵の招宴。 |
二月二十一日。朝、門司著。萍子招宴、三宜樓。 壇之浦を過ぎ滿開の梅の寺 老木の梅咲きそめし寺に来し 僧我を咎め顔なり梅の寺 梅を見て明日玄海の船にあり 風師山梅ありといふ登らばや 太宰府の梅やいかにと門司船出 |
二十二日朝、萍子の案内にて自動車道を門司の高山眺望絶景の風師山に登らる。 一行は虚子先生、章子嬢、楠窓、しづの女、萍子等。 先生作句 風師山梅ありといふ登らばや 今日もまた船をのぼりて梅を見る
後藤萍子「門司港に於ける虚子先生」 |
風師山梅ありという登らばや | 虚子 |
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谺して山ほととぎすほしいまゝ | 久女 |
風師山にのぼりて空を仰ぐとき雲と遊ばむこころ起りぬ 風師山のぼれば天の日もちかしすなはち心燃えにけるかも
『天 彦』 |