久留米市御井町の県道800号湯ノ原合川線高良山入口交差点から道750号御井諏訪野線に入る。 |
俳譜の大祖芭蕉翁は、あまねく世の人の知るところなり、その葉陰に遊べる好士のすさびとして、筑紫しりの国、ぬれせぬ山にたまちはふ神と祭らんことを、従二位資延伯にねぎて、桃青霊神とあらはし、玉垂宮と光を同じくしたまふは、寛政三年辛亥の年にぞあなる。諸人仰ぎ尊み賽の鈴の音絶えまなかりしが、思いきや去にし文政十一子の年の野分に御祠大破に及ぶ、このたび志を合せてむかしはもて御祠を営み、行末巽二の災をのがれんものと計るなり、ちはやぶる神の人をしてなさしめたまへるならんか掛巻も畏きいさをならずや。 |
寛政3年(1791年)、田主丸の俳人岡良山は70歳で京都に出向き、神祇伯の資延王を訪ね「桃青霊神」の神号を授かった。 文政11年(1828年)、台風で大破。 天保2年(1831年)11月、再建。 |
歌は出雲八重かき、連歌は甲斐の |
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酒折の社、俳諧は筑紫高良山に |
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桃青霊神いまして永く風流のみちを |
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守護し玉ふ |
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今よりはぬさともならん枯尾花 |
八幡大神(はちまんおおかみ) |
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高良玉垂命(こうらたまたれのみこと) |
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住吉大神(すみよしおおかみ) |
明和8年(1771年)5月、蝶夢は高良大社を訪れている。 |
久留米の町を過て高良山に上る。坂の間長く、つゞらおりに足たゆし。玉垂の宮と申奉る、片田舎にあるべしとも覚えぬ壮麗の宮居なり。追分といふ駅を過るころほひは、家々に蚊やりたきたつる程也。 |
明治30年(1897年)、夏目漱石は高良山に登っている。 |
高良山 石磴や曇る肥前の春の山
〔子規へ送りたる句稿 二十四〕 |