人家たちつゞけたる所は小竹といふ所なり。こゝにてやうやう夜明けたれば、これまでの道すがら見のこしたる多かるべし。行嚢抄小竹村 これより堤の上をゆく。左右に櫨の紅葉せしもいつしかちりはてゝ、下には小笹生ひしげれり。
『小春紀行』 |
長崎街道は慶長17年(1612年)に冷水峠が拓かれたことによって小倉から長崎まで57里(228キロ)に25宿が整備された。 黒田福岡藩内の長崎道は黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田の6宿が設けられ「筑前6宿」と呼ばれた。 この町筋は木屋瀬宿と飯塚宿を結ぶ道であり、藩政時代には多くの旅人が往き交った。参勤交代の諸大名の御休憩所など古い町並みは旧街道の面影を残している。 ケンペルやシーボルト・司馬江漢・川路聖謨(としあきら)らの有名人もこの道を通った。 |