宮本武蔵にとって小倉は最も長く滞在したゆかりの地である。 細川・小笠原両藩の時代を通して7年に及ぶと言われている。 武蔵は慶長17年(1612年)4月小倉を訪れ、細川藩家老長岡(松井)佐渡興長を訪ね、佐々木小次郎との試合の許可を依頼した。長岡佐渡は藩主細川忠興の許しを得て、4月13日に舟島(後の巌流鳥)で立会うことになった。(二天記より) 長岡佐渡の屋敷跡は現在の小倉城庭園である。武蔵はこの屋敷にもとどまったという。 「誠心直道」は、武蔵創始の兵法で二天一流の真髄である。このたび小倉の士が十一代を相伝したので武蔵ゆかりの地に碑が建立された。
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