記紀によれば、神功皇后は、仲哀天皇が香椎宮で崩御したため代わって政務を執り、熊襲を討伐。その後、住吉大神の神託により、御腹に応神天皇を宿したまま、ここ黒津から玄界灘を越え、朝鮮半島に出兵して、新羅の国を攻めた。新羅は降服し、百済などと共に朝貢を約した(三韓征伐)。そして凱旋の皇后御座船の「帆柱」が、時を経て石になった…これが当地の「帆柱石」伝説である。また神功皇后は、武運の神である「八幡神(=応神天皇)」の母堂にあたる神として、清和源氏、桓武平氏など日本全国の武家から崇拝された。
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名島帆柱石

ここから10m程奥に入った場所にある9個の円柱状石は、古第三紀漸新世前期(今から約3500万年前)に堆積した志免層群名島層の砂岩、礫岩層中に含まれる珪化木(けいかぼく)とよばれる樹木の化石です。香椎宮の社伝には、3世紀ごろ、神功皇后が三韓出兵の際に使用した船の帆柱が化石になったものという言い伝えがあり、波打ち際の岩の上に並ぶその姿は、まさに帆柱を連想させます。また、この石は国の天然記念物に指定されています。 |
「9個の円柱状石」は、よく分らなかった。

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