原文 八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曾念
万葉集巻六 九五六
大意 私がお仕えする大君が、安らかにお治めになる国は、中央の 大和もここ大宰府も同じ、異なることはないと思っている。 大宰帥として赴任したばかりの大伴旅人にむかい、少弐(大宰府の次官)石川足人が |
さす竹の大宮人の家と住む 佐保の山をば思ふやも君 (大宮人が家として住んでいる平城(なら)の佐保の山を、あなたはなつかしくお思いになるでしょうか) |
と問いかけたのに対して、旅人が和(こた)えた歌である。ここでは旅人は、遠の朝廷(とおのみかど)大宰府の長官としての気概を詠っている。 |
原文 青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
万葉集巻三−三二八
大宰少弐小野老朝臣が天平元年(729年)大宰府に着任した時、宴席で披露した歌とされている。揮毫者の犬養孝氏は万葉風土の大切さを訴え、若い頃から幾十度となく大宰府政庁跡の巨大な礎石の前にたたずんでは、古代の絵巻を繰り広げてくれる「遠の朝廷(とおのみかど)」を偲び、都から離れた官人の心情を思いやられた。 碑文は昭和24年に作られた「萬葉百首」のかるたから拡大して刻した。 |
大宰帥大伴卿の報凶問歌(きょうもんにこたふるうた) 余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
万葉集巻五 七九三
巻五冒頭の大伴旅人の歌である。大宰府赴任後妻を亡くし、不幸を重ね、世の無常を知った時の悲しみの中から、旅人の風流は生れてゆく。万葉筑紫歌群は、この一首に始まるのである。 |