元禄年間(1690年ごろ)創建。本尊は秘佛延命地蔵菩薩。境内には名高い五百羅漢像など総計200余体の佛像が安置されている。また勝山の俳句発祥地として藩主小笠原候を始め多くの文人墨客曽遊の地でもある。庭内には明治俳壇の巨匠松瀬青々をはじめ勝山俳壇生みの親首藤素史の句碑がある。
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大師山佛母寺

曹洞宗の寺である。
松瀬青々の句碑

昼ゐれは樫鳥鳴きつ竹の中
青々は大阪生まれの俳人。正岡子規に学ぶ。
大正13年(1924)、青々が勝山を訪れた折に詠まれた句。
大正15年(1926年)、雨声会建立。
昭和12年(1937年)1月9日、没。
首藤素史の句碑

樫鳥ハしぐれて来ずか来しあとか
素史は勝山の出身の俳人。青々を師と仰いだ。
師青々の句を偲んで詠まれたもの。
昭和23年(1948年)、雨声会建立。
昭和45年(1970年)、現在地に移転。
昭和32年(1957年)、雨声会は樫鳥の句に因み、樫鳥俳句会と名を変えて再出発する。
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伊藤柏翠の句碑

僧留守の仏を蟇のしかと守る
伊藤柏翠は、東京府出身の俳人。
昭和17年(1942年)、三国に移る。
平成11年(1999年)9月1日、没。
平成15年(2003年)、樫鳥会建立。
芭蕉の句碑

父母のしきりに恋し雉子の声
出典は『笈の小文』。
貞亨5年(1688年)春、芭蕉が杜国と高野山を訪れて詠んだ句。
平成18年(2006年)、樫鳥会建立。
マムシグサがあった。

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