2019年愛 媛

多聞院〜野村朱燐洞の句碑〜
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松山市小坂に多聞院という寺がある。


山門を入ると、左手に野村朱燐洞の句碑があった。


倉のひまより見ゆ春の山夕月が

大正7年(1918年)10月31日、朱燐洞没。

 ここ多聞院は真言宗豊山派のお寺で、近くの阿扶志墓地に野村朱燐洞の墓がある。墓は一三回忌に次姉ノブが先祖代々の墓として建てたもの。

 種田山頭火は高橋一洵らの案内で、昭和14年(1939年)10月5日夜9時すぎ、雨の中この墓地を尋ね当て、宿願を果たした。

 大正2年(1913年)4月の句。六二回忌の昭和54年10月31日建立。朱燐洞自筆。

松山市教育委員会

『俳句の里 松山』

松山でハ停滞しすぎました、これから大いに歩きます、転一歩か退一歩か、とにかく昨日までのエゴを放下しますよ、朱燐洞君の墓所をやつと見つけ出した、地蔵院でハありません、層雲で発表いたします、おたよりハ逓信局の澄太君方へ、

昭和14年10月8日、木村緑平宛寄書

昭和27年(1952年)10月12日、荻原井泉水は朱燐洞の墓に詣でる。

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