2017年愛 媛

十河信二胸像〜十河信二記念館〜
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JR予讃線伊予西条駅下車。

十河信二記念館がある。

十河信二胸像があった。


伊藤五百亀制作

十河信二
【1884年〜1981年】

明治17年4月14日、愛媛県新居郡中萩村大字中村150番戸(現在の新居浜市中萩)に生まれる。

旧制西条中学を経て、明治42年東京帝国大学政治学科を卒業。同年鉄道院(現JRグループの前身)に就職、主に経理畑を歩き、大正15年、42歳のとき、無実の収賄罪で起訴されたことを機に、鉄道省経理局長を依願退職。

その後、中国大陸の開発や日中関係の修復に思いをはせて満州を中心に奔走するも、大きな歴史の流れの中でその夢は叶わず、帰国。

昭和20年7月、第2代西条市長に就任し、主に干拓事業等に取り組むが、昭和21年4月に辞任。

鉄道弘済会会長や日本交通協会理事などを経て、昭和30年5月、71歳で第4代国鉄総裁に就任。組合問題や重大事故等の難局に対してその手腕を発揮する一方で、技師長に島秀雄氏を迎え、夢の超特急「東海道新幹線計画」を発表。内外の反対や慢性的な予算不足と戦いながら計画を軌道に乗せ、昭和38年5月2期8年の任期を全うして国鉄総裁を勇退。

その東海道新幹線は昭和39年10月に営業を開始するや、戦後日本の“奇跡の高度経済成長”を支える大動脈となり、あるいは、奇跡の高度経済成長”のシンボルそのものともなった。

昭和38年愛媛県民賞、昭和39年勲一等瑞宝章、昭和44年には第一号の西条市名誉市民。

昭和56年10月3日、東京の鉄道中央病院で永眠。享年97歳。

 昭和44年(1969年)、旧西条市体育館(鷹丸)に十河信二胸像設置。

 平成4年(1992年)3月4日、伊藤五百亀没す。

 平成5年(1993年)、遺作展でこどもの国に十河信二胸像を展示。

 平成19年(2007年)11月26日、十河信二記念館開館。十河信二胸像を移設。

石鎚山駅へ。

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