2019年〜愛 媛〜
中山小学校〜碑巡り〜

伊予市中山町出淵に中山小学校がある。
中山小学校駐車場に3基の句碑があった。
清崎敏郎の句碑

菩提樹の花の盛りは今ならん
平成2年(1990年)、清崎敏郎が盛景寺の菩提樹に立寄り、丁度花の盛りを賞でた時に詠んだものという。
本名星野敏郎。大正11年2月東京に生れる。慶応大学卒。慶大及び同付属高校にて教鞭をとる。昭和15年、富安風生に師事。昭和18年、高浜虚子の指導を受け、ホトトギス同人となる。昭和23年、若葉同人。昭和54年、若葉主宰。現在俳人協会副会長。度々ご来町され広く俳句の指導をしていたゞく。
敏郎君へ 二句
潺々(せんせん)と虚子より承けし水の秋
二た流れ和して同ぜず水の秋
『走馬燈』
平成3年(1991年)7月28日、建立。
平成3年(1991年)、『富安風生の世界』編著。
平成11年(1999年)5月12日、没。
鈴木貞雄の句碑

一蝶の天降(あも)りて峡の村に春
氏は昭和17年2月1日東京日本橋に生まれる。慶応義塾大学経済学部同大学院文学科修士課程卒業。在学中慶大俳句会に入り俳句を始める。
以来清崎敏郎に師事。平成11年より「若葉」主宰。俳人協会理事を務める。現在、千葉県在住。この句は花の森ホテルでの作である。句碑建立により中山町文化の里、ひいては中山町の活性化につながればと願っております。
平成25年(2013年)2月、俳誌若葉は1000号を迎えた。これを記念して建立。
中山中学校の富安風生句碑と併せて若葉主宰三代句碑である。
妻鳥(めんとり)暁天の句碑

書きもかいて素麺すゝる青柚の香
氏は中山町に明治19年生まれる。明治33年14才で小学校教員、翌明治34年出淵尋常高等小学校教員となる。昭和18年57才まで子弟の教育に専念した。昭和6年最難関の書道の文部省検定試験に合格。書家として広く名を知られた。尚、河崎神社宮司を兼任す。特に俳句に於いては糸瓜中山支部を結成し、富安風生を再三招き俳都松山と比肩される程隆盛をもたらした。また、詩歌や俳句、漢詩等に優れ、郷土誌にも詳しかった。昭和27年66才で他界。
暁天は本名暁太郎。糸瓜同人。
明治43年(1910年)、妻鳥暁太郎は中山行進曲を作詞作曲。
中山行進曲歌碑もあった。
農業総合センターには村上霽月「黄昏の春を中山泊哉」の句碑があったが、取り壊し工事中であった。
中山町には21基の句碑があるようだ。
JR予讃線伊予中山駅

伊予市駅へ。
2019年〜愛 媛〜に戻る
