2020年愛 媛

妙清寺〜柳原極堂の句碑〜
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松山市山田町乙に妙清寺という寺がある。

昭和20年(1945年)、松山大空襲により諸堂を焼失。

山門を入ると、右手に柳原極堂の句碑があった。


感無量まだ生きて居て
      子規祭る

『草雲雀』(「日記」より)に収録の句。

 極堂は、子規と同年で子規から「文友」と称せられた。

 昭和26年子規居士50年祭に「85歳で耳も遠く足腰も弱ったが、よく生きていたと思う」と長生きの喜びを感じての句である。

松山市教育委員会

『俳句の里 松山』

昭和30年(1955年)、妙清寺再興。

昭和32年(1957年)10月7日、柳原極堂は90歳で没。

昭和46年(1971年)、柳原極堂の句碑建立。

鷲栄山妙清寺


日蓮宗の寺である。

昭和55年(1980年)、本堂、庫裡等を現在地に移転。

境内に柳原極堂の墓所があるそうだ。

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