ここ松山の地に野球を伝えたのは正岡子規であると言われる。 明治20年代のはじめ、子規はアメリカから伝わったベースボールに熱中し、故郷松山の友人知己にこれを教え自らも左利きのキャッチャーとして活躍した。また、新聞紙上にベースボールを紹介・解説する連載記事を執筆し、俳句・短歌・小説などの題材にもとり入れ、その面白さを広く世に推奨した。子規には、幼名の升(のぼる)にちなんだ「野球(のぼーる)」という雅号もある。 「坊っちゃんスタジアム」は、学生時代からの親友夏目漱石の名作に由来する名称で、子規が野球に注いだ情熱はこの球場に永く生き続けることであろう。 |
子規は自分のペンネームとして、幼名升(のぼる)にちなみ「野球」の表記を用い「のぼーる」と読ませた。 |
霊正しからば、球また正し。 |
霊正しからざれば、球また正しからず。 |
近藤兵太郎 |