皇極天皇(在位642〜645)の御代に空鉢上人が開山した寺です。和銅5年(712年)に行基菩薩が千手観音菩薩を刻んで安置。後に、報恩大師、弘法大師が入山し七堂伽藍を整えられました。 歴代の皇室、武将、藩主並びに地方信仰者の崇敬を集めた名刹です。 |
弘法大師が青年の頃、この橋のたもとで み仏の法のみ山の法の水 流れも清くみゆるぎの橋 と詠まれた。 この橋の橋板の裏には経文が書かれてあるところから、無明から光明へのかけはしになっている。心して渡られよ。 |
石鎚も象頭も見えて |
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五月晴 |
仁王門 |
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ここから無欲 |
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背を伸ばす |
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草映 |
源頼朝公が本堂再建の時、材料を運搬しつづけた牛がこの地にたおれ、人々は牛に似た石でこれを葬った。参拝する人々は口のところに草をさしこんでは、その労をねぎらうのである。 |
雨だれの音も |
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そひきて夜寒かな |
鐘の聲 |
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弘安の世へ |
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霞みけり |
萌若葉千手観音あまねしや |
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不破 |
文化3年、松山藩寺社奉行によって普請された、築城方式による石積である。 |
西山の御寺の秋の深うして |
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弘安の鐘のおとのさやけさ |
點滴を 掌(て)に汲みたむる 清水かな |
明治32年(1899年)、渡部杜羊子(とよし)は丹原町に生まれる。渋柿派俳人。 |